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2024年03月19日06:43

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流星のひと。42 植木鋏で切るように。

 パチン、パチン。植木鋏の音は胸の奥で密かに響き返します。人というのはどうにも過去を思い切れない生き物だ。その断ち切れない過去を一気に切るように響く音。
 パチン、パチン。

 黒澤明の名作「用心棒」の冒頭では、椿の花がパチンと切られ水に落ち流れていきます。災(わざわい)のはじまりです。

 ヒカルの大ヒットの裏側で、植木鋏の鋏が鳴ります。パチン。藤圭子はその音にほぼ何ひとつ気づかず事態は進みます。植木鋏は未来の姿をイメージして、剪定されます。何年か後の藤圭子の姿が、ソバで鳴る剪定の音に隠されていたハズですが無表情に事態は進行して行きます。

 植木鋏は二枚の刃によってできています。一枚は「東芝EMIが敷いた謎の帰国子女という路線」、もう一枚は「250万枚という空前の大ヒットがもたらしたマネー」です。マネーの流れはその後もダムを決壊させほどるの勢いです。その中で、二枚の刃は、(もしあるとすれば邪魔な)枝を絶ち切るような冷たい金属の音を響かせます。誰がその鋏を使うのか。それは、もう他にはないじゃないか。

 ヒカルのデビューに藤圭子の存在はどんな役目を果たしたのか。表向きは、東芝EMIの意図通り無関係で進んだのです。しかし、そう時間が立たないうちに
「あの娘は、藤圭子の娘なんだよ」
という声は伝わって行きます。全体で言えばこの構図がデビューに謙虚な表情を作り出し、釣り合いの良いキレイな相乗効果をあげていたと思います。これはほぼ誰にも依存のないところでしょう。

 ところが、とても釣り合いの良いこの相乗効果は無残に壊されます。

 まず周辺から、藤圭子と母親の関係です。
 1988年頃です、ヒカルを連れてやって来た藤は、石坂まさをの妻、清子さんに突然に
「お姉さん、あたしの母親と付き合うならあたしはもうお姉さんとは付き合わないわ」
と自分の絶縁宣言と圭子への同調を訴えます。ヒット後もこの時の絶縁状態は続いていて、家を売り渡し隠れるようにアパート住まいをする母親はマスコミに見つけ出され、
「いかがですか、藤さんとヒカルさんから連絡がありますか」
と尋ねられます。
 謎の歌手、宇多田ヒカルの祖母からマスコミはニュースを得たいと思うのです。見つけ出した途端にトクダネです。
「えー、連絡はあります。元気でやっているそうですよ」
などと答えていますが、実際のところは亡くなった後、それが娘と孫のためを思った精一杯の体裁づくりだとわかったのです。一切、連絡はなかったのが事実です。
「純子はどうしているのかねぇ、姉は心配でしかたなかったのでしょう」
「訊かれるけど、あたしにもわからないですものね」
母親の妹で藤圭子の伯母にあたる女性は、悲しい姉の秘密をもらしうなだれます。

 ヒカルとの関係です。
 音楽作りの方針で、夫婦、父と母がモメたというエピソードがいくつか残っています。サックスの音の仕上がりで、電気的な処理で進めようとする父娘に
「ダメだよう、音楽ってそんなもんじゃないんだ」
と録り直しのダメ出しをしたというのです。エピソードのほとんどがこうしたものなのですが、それが本当か、作為のために残されたものなのか、いまとなっては誰にもわかりません。

 こうした中いつの間にか宇多田氏は圭子を外そうとします。一人歩きできそうなヒカルを前に、意見の合わない藤圭子が面倒になった、のかもしれません。

 東芝EMIとの契約の窓口は宇多田氏です。その宇多田氏が掲げたのが東芝EMIが敷いた「謎の帰国子女という路線」です。宇多田氏は、なぜか頑なにこの路線を主張します。これは一応、理屈が通っているように思わせますが、少し考えてみればすぐわかる意味のない行為で、作為にあふれた判断としか思えません。すでに母娘であることは知れ渡っているわけで、これ以上、人工的な細工をすることが意味のあることでしょうか。まして東芝EMIが強く路線の継続を宇多田氏に迫っていたとは到底思えません。東芝EMIの名を借りて、と言うのがすぐ浮かぶところです。

 作為のある「ヒカル原理主義」とこの事態を名付けましょう。「原理主義」は多くの場合、排外主義のカタチをとります。

 もし東芝EMIが変わらず路線の継続を主張していたとすると、これほど気まずい事態の行き先はないでしょう。担当者の人間性さえ問題視されかねないし、後々の排斥行為さえ関わってくるからです。

 ヒカルをはじめてスタジオに連れて行ったのは藤圭子ですが、ヒカルのレコーディングが進むに連れ圭子は次第にスタジオに呼ばれなくなります。いわば村八分、音楽スタジオ八部に至ります。
「スタジオで暮らすのがいちばんの幸せ」と歌手時代から言っていた藤圭子にとって、これほど辛いものはなかったと十分以上に想像ができます。呼ばれていない一秒が、1時間が、地獄の底にいる時間。家に居て、ポトリという蛇口から落ちる水音さえ、心臓を打つ音のように響くでしょう。
「ヒカルのためだから」
という宇多田氏の言葉、
「あー、そうかもしれない…そう思うようにしないと」
 北海道の雪の中、転ぶように歩く自分の姿を思い出し、時に
「あーそうか母親もきっとあたしみたいだったのか」
と一途に思い返していたのかもしれません。

 ぼくには、この時期、この時間が、藤圭子の精神を苛んだと思えて仕方がないのです。なぜか、それは嘘によって作られた世界に押し込まれてしまったから。藤圭子が、宇多田氏の言う単に過剰な「気まぐれ」を持つ人であるわけはないのです。「気まぐれ」と言う言葉こそ彼の「嘘の名作」と言うべきものです。

 嘘の世界に囚われた藤圭子。巧妙に出口を塞がれた部屋、答えのでない答案、騒ぎ立てれば人質にとられた娘は危うくなるのかもしれない背反。地獄のようにしつらえた嘘の部屋から一向に抜け出せないアリスとして、この時期、藤圭子は暮らしていたようです。
 
 植木鋏の刃が冷たく鳴ります。パチン。
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