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2024年03月18日14:37

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仏法四論難

我が無いならば、なぜ修行する?
我が無いは真理であるが、それを知らなかった以前も、
苦楽を味わってきた。修行に依って苦を除くのだ。
実体が無いならば、なぜ修行する?
実体が無いは、真理であるがmそれを知らなかった以前も、
苦楽を味わってきた。修行に依って苦を除くのだ。
他人の体に入れない。他人が体に入れない。
他人の体に入れる。他人が体に入れるのは、無我か?有我か?
ここには二つの点で説明される。
まず、内感を受ける機能がある事。
もう一つが、他人と自分の、共通の空間というものは、無い。
つまり、空間は無い。それぞれで、空間を持つに近い事。
孤独である。従って、我が無い方が、理に適う。
それだけ、精密にできていると言えよう。
そして、中道なのだが、空でありながら、実である。
また、空と化と言う。これは生滅。生を化、滅を空と言う。
常に継続せんとする。
ここに永遠かの如き創造がある。
しかれども、寿がある。
法華経に汝ら智者よ、生を疑え。と言う。
考えるべきである。
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