○2010年8月10日の日記加筆修正
アヘンを吸うと、どうなっちまうのか。わからないよね。これをある種、ご気楽に、日常の中の軽い体操のように経験した人がいます。
特に悪意もなく普通の若者がのんびりした国に出かけ、のんびりした生活の中で気楽に一服つけるように吸ってたら、ありゃ、中毒になっちゃったという話。そこんところが普通の続きで面白い。こんな例、他にないから外人記者クラブに行くと
「おい、内緒で教えてくれよ」
と記者がすーっとすれ違いざまに次々と声をかけるそう。日本人記者は「少し様子をみようか」とどことなく距離を置いていたとも、書いてます。
(なんと面白さに、後々、CIAから講演を頼まれたりします)
こんな一連が青春の旅日記ような文章で書かれているのです。ミスマッチのようなのですが、よく考えるとこれこそ公平な予見のない文とも言えるのですね。だから外人は気に入ったのかな。
○
「アイ・ラオ、今度来たらな、アヘンを吸ってもいい。いくら吸ってもいいぞ。オレが許す。だから、また来いよ」
アイ・ラオは著者の現地での愛称で、土地の世話役のアイ・ムンはもう涙ながらだ。
佐野眞一さんの『阿片王』を読んでからアヘンのことを調べたくなったのだけど、アヘン関係の本って、大概は古くて高いんだよね。
「いやあまいったなあ」
と思っていたら、世の中広い。100円ですばらしい本に出会っちゃった。『アヘン王国潜入記』高野秀行著、ブックオフでなんと100円だった。
アヘンはどうやって作るのか。どんな人が作っているのか。どんな理由で作るようになったのか。アヘンとはどんな効果なのか。
アヘンのゴールデン・トライアングルと言われるビルマの山岳地帯、ワ州(この名前からしてビックリだね、聞いたことがないもの)にすっぽりはまり込んで書かれた、日記兼滞在記のような本なのだ。
これには、政治とアヘンという高調子ではなく、生活とアヘン、人とアヘンという手触りのあるつかみがあって、アヘンというまか奇怪なものが、まるで家の横に生えたキュウリの話しのようになんとも気持ちよく、わかりやすく伝わってくるんだなあ。
で、まあ、種蒔きから収穫まで半年ほど、山岳地帯の集落に暮らし、
「アイ・ラオ、手伝ってくれたから、お前の分だ」
と投げアヘンですね、これがはじまり。
ジリ、ジリ、ジリ(アヘンが灼ける音)…プカーッ、煙がシュルシュルー。
やってみるとなぜか幸せになる。いつの間にか本人がヘロヘロのアヘン中毒になって、いっぱしのアヘン・マン。立ち上がるのさえ億劫なのが、一服するだけでほぼほぼ、絶好調ーッ。みかねて世話役兼親友のアイ・ムンにも叱られる。
「こりゃあ、まあ、いかん」
と日本に帰ることを決めたら、叱った世話役兼親友のアイ・ムンが
「いくら吸ってもいいぞ。オレが許す。だから、また来い」
肩を抱き抱き泣き出すんですね。アヘンを真ん中に、男と男。ヘロヘロとウェーン、ウェーン。
そこだけ取り出すとかなりきわどい感じもするのだけど、人というものの何かこうすごいオカシミを一気に感じさせるんだなあ。
政治とか経済などというビッグなものが介在しないと、人というのは何ともオカシク、温いものだという、ぼくの人間好きの心をいたく刺激してたまりませんでしたね。
つまりね「アヘンは妖怪のようなものではなく、政治とか経済が妖怪なんだな、きっと」と、まあ日頃の庶民性善説が、アヘンの紫煙のようにプカッーとオツムにたなびくのです。
アイ・ラオはお別れの宴会のために牛を買った。だけどこいつが性悪で、捕まえようとしたら、両側が土手で溝になった道を真っ直ぐ本人を目指し暴走。これじゃあ、どこにも逃げようがない。
「おーい、やめろ、やめてくれー」。屠(ほふ)ろうとしたら逆に屠(ほふ)られそうになったりするあたりは、まさしくオカシクて腰が抜けそうになったね。
でね、この著者、早稲田の探検部出身だったんですね。
古びた教育学部の半地下の窓に
「新人、来れ。探検部へ」
というマジックで書かれた貼り紙が、古い映像のように浮かんで来ました。風にヒラヒラヒラ。そーかあ、アイ・ラオは冒険少年か。なるほどね。文章は青春のように書かれていると泣けてくる、のであります。
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