○2010年4月25日の日記を加筆修正
東山紀之は自著「カワサキ・キッド」の中で、川崎生まれ川崎育ちであることを語っている。
ぼくが以前書いた「港町少年」の少年たちより下の世代の、港町少年だったことは間違いない。育った桜本は、すぐそばで当時からコウリャンタウンとして有名な街で、いまは焼肉タウンとなり特異な位置を占めている。
そこに住む少年達は、極貧タウン川崎の「たまらん現実」を目の前にしながら
「どうやってこの街を出ようか」
「どうやってこの街と馴れ合おうか」
といつも反芻して生きている。
たまたまとなっているが、東山紀之は(NHKの理容室に務めていた)母親からもらったジャニーズのチケットが人生を変えたとされている。コンサートの帰りに信号で
「ユー、明日からレッスンに来ない」
とジャニー喜多川に声をかけられたのがきっかけで川崎を離れることになる。
そうして大きな成功を収めることになる。
(ただしこのエピソードは、だいぶ作り替えられている。片親の東山はオーディションに行ってるし、はじめからジャニさんにアタリをつけられていた)
「港町」という駅に降りたったら、どんなイメージを想像するのか。肩にあたる風に潮風を感じるのだろうか。多摩川の川端にある水門脇に港を作ろうとしたのだが、中止になり名前だけが残った。駅前にはまばらに墓地が並び、その向こうにはギャンブル場が続いている。国道を渡ればソープランドが並ぶ、そのソープ街で東山紀之は生まれた。
東山紀之とぼくが関わった港町少年との落差を感じながら読んでもらえればありがたい。東山のある種、幸運はどんな背景から生まれたのか。川崎で一番の進学校にいたぼくの港町少年達は、あまり成功を収めていないようだ。
「ジャニさん、もうそれはやめようよ」
と言えれば東山紀之の成功談はまさしく完全なものに成れただろうに。不完全で、まやかしの多い人生の中を東山紀之は懸命に生きているのだろうと思う。
○
(ここからが以前書いた「港町少年」です。重複する記述もあります)
京浜急行大師線に港町という駅がある。大師線というのは川崎から川崎大師に入る支線で、港町といっても港はどこにもない。どうして港町なのか、町に足を踏み出すとあっけにとられる。
強いて言えば「人の港」なのだろうか。
競馬場と競輪場が向い合わせであり、夏の日、夕暮れになるとサンダル履きの人たちが、道一杯に歩いている。東京で言えばかつての山谷とか、上野駅の横、立石などで毎日のように見られた風景だ。普通に言って見れば、貧民街ということなのだろう。
桜本というコウリャンタウンがすぐ先にあり、焼肉屋が軒を列ねている。
ぼくは、かつてある少年達を尋ねてこの町に行ったことがある。ぼくのところに毎日のように通っていた少年達の高校がこの港町の奥にあり、やつらはその高校を封鎖してしまったのだ。
川崎市内では有数の進学校だというのだが、まわりの風景はおよそつり合わない。
「おい、すごいところにあるな」
椅子と机で塞がれた廊下の手前で少年達のひとりに声をかけた。
「この辺は川崎という町の矛盾がかたまっているとこなんですよ」
当時はみんなこんな口のきき方をした。当時というのは70年頃で、若者に過剰な勇気があった頃だ。
その過剰な勇気が「バリスト」という光景をつくりだしたのだ。
「お前らここに泊まっているのか」
「かわりばんこですよ」
「いつまで続けるつもりだ」
「わからないけど、続けられる限りですね」
椅子と机で塞がれた奥にある教室で寝泊まりし、討論もするが、タバコもビールもやる、という生活らしい。
「こうしていると、なにかこうわかってくるんですよ」
「何が」
「世の中のインチキさがですよ」
「この辺の人、みんな体を使って生きてますよ。でもみんな貧乏だ」
「かといってとくにたのしいこともないみたいだし」
「こんな町に這いずり回りたくなかったら、勉強して抜け出せばいいというみせしめみたいなものなんですよ、この学校」
「犬の訓練みたいですよ。勉強しろ、よく出来たらごほうびやるぞって言われてるみたいでバカバカしくって」
「だって自分だけ抜け出したって、しょうがないじゃないですか。そんなセコイこと考えてどうするんですか」
やつら、と言っても5人ほどなんだが次々に答えが返ってくる。
「龍馬伝」を見ていたら、なぜかこんな港町のことを思い出した。
もしかしたら、「龍馬伝」の時代、1970年頃、そして今、なにか共通のものを抱えているのではないか。
その共通項は貧困がもたらす何か。
少年達のこころの中で、エゴイズムが過剰なのか、情が過剰なのか。どうやらそれが港町を出て行く時の少年達の姿を決めるのだろう。大小あるだろうが、ある者は龍馬になり、ある者は弥太郎になっていく。
今になってそんなことを思う。
港町を出たのか、追い出されたのか、その後の少年達のことをぼくはよく知らない。
知りたいと思う。
○
東山紀之とぼくの港町少年たちとでは、港町からの旅立ち方はだいぶんな違いがある。高校を無理やり押し出され、ドタドタと人生を歩きはじめた港町少年。世間的にいえば、東山紀之は(この騒ぎの前までは)見事に立派な人生を描いてきたというべきだろう。
さあ、何があるべき姿なのだろうか。大滝秀治の言葉を借りれば、そいつは
「ワカラーン」
ということなのだろう。だが会見の席上で嘘をつかないように口籠っている東山紀之の姿には自分の大事な真実を失くしたような空虚な表情が見えていた。
ぼくの港町少年たちは、あれからさほど会ってはいないのだが、その後の苦労も感じさせない正直な顔つきだろう。ぼくは、それで十分だと思っている。
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