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2024年02月04日02:45

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キミは「ゆきゆきて、神軍」を見たか。

○2008年11月26日の日記再掲載

「ゆきゆきて、神軍」は天皇を撃った男のその後を撮らえた映画だった。それは、凄まじい熱気と時代に捻転した意志を持った男のドラマだった。

 だいぶ前に『ヤマザキ、天皇を撃て』という本があり、その本は「話の特集」にしか広告されなていない特殊な本だった。小さな版面の中の、小さな広告。
「さあ、あの本の男はどうしたんだろうか」
 ぼんやりと頭の隅にあった捻転した男が10数年後、忽然と映画となって姿を見せた。
 ぼくは驚いて映画館に行った。ぼんやりは5分で吹き飛んだ。すでに老境の男はいまだに戦中と格闘をしていた。疲れを知らない(子供ではなく)奥崎の姿。
 この映画を見た人はもう少ないだろう。ぼくは、もはや自分が明らかに証人の仲間入りをしていることに気がついた。だから書いておかなきゃ、と思うのだ。
(気分が悪い映画ランク1位だったりするので、このあたりで記憶する人も何人かはいるのだろう)

                 ○
  
 神軍、平等兵 奥崎謙三。

 なんてすばらしいレトリックだろうね。
 皇軍ではなく神軍で、上等兵でもなく二等兵でもなく、平等兵なんだ。ぼくはこの華麗なキャッチというか名称を見て、クラクラっときたおぼえがある。蹴たぐりなんてもんじゃない、頭の中でそれこそボコンと開いた音がしたようだった。

 異色のドキュメント「ゆきゆきて、神軍」は、この奥崎謙三のその後を撮らえた映画だ。

 その後とはなんなのか。あー、言いずらいなあ。言いずらいけど言おう奥崎謙三は天皇陛下にパチンコ玉を打った犯人だ。
『ヤマザキ、天皇を撃て』と絶叫しながらね。

 1969年の一般参賀で起こした事件なのだが、ひそかに日本中に衝撃を与えた。「ひそかに」というのは、あまり口に出さないけど実はしっかりみんなおぼえているよ、という状態。ぴったりと口を閉じているのだけど、ずーっとおぼえていたんだね。なにしろ相手は天皇だからね。

 戦後この方、天皇の戦争責任を言い出すものは、この国に誰ひとりいなかった。「ひとりくらい居てもいいんじゃないの」と、ぼくも思っていいたし、隠れ責任論の人はかなりの居たと思う。
 いつも温厚な酒屋のオヤジが天皇陛下が乗ったクルマが家の側の国道を行き過ぎる時にやにはに(ぼくは隣にいた)
「天皇陛下バンザーイ」
と絶叫したので、あまりの意外性にどぎもを抜かれたおぼえがある。ぼくとしては「なんか変だぞ、この国」と思うしかなかったんだけどね。

 そんな中、(天皇責任論者)がこの世に登場したのはまさに奥崎謙三がはじめてだった。それもパチンコ玉を乱射(5発かな)しながらテレビの実況で登場するという桁外れの意外性で、みんなを黙らせてしまった。

(『朕はたらふく食っている』などのイデオロギー的なものはあるにはあったようだけど、一市民、一兵卒からの生な直接的な告発ははじめて。メディアでは、「朝まで生テレビ」で扱ったのが、はじめてのはず)

 ぼくは、その事件の時からずっと思っていた、奥崎謙三は「戦後民主主義を先取りした人間」ではないのか、と。

 戦争中、饑餓のニューギニアで、食料を着服しようとする上官を再三殴り倒した、復員船でやっぱり食料を着服しようとする船長を刺したりした、というエピソードを知るにつれ、ますますそう思っていた。

 でね、ぼくは、戦後民主主義と軍国主義がライブな状態で向かい合うとどうなるのか。ま、取っ組み合いだね。その実験場がまさに奥崎謙三の生き方ではないかと、これまたひそかに思っていたのですね。

 というわけでぼくはシブヤのユーロスペースにいち早く観に行ったのですよ。1988年頃だったかなあ。

 奥崎謙三は「沸騰する人」だった。戦後民主主義というおだやかな言葉とはなかなか同居できない個性だった。

 あふれるエネルギー、カラダを射抜くような言葉、声。その次が想像つかない意表をつく演劇性。

 ぼくは、神軍、平等兵のたったひとりの闘いをただただ見とれていた。戦後民主主義と軍国主義が取っ組み合うのは大変にエネルギーがいることなんだ。並の人間にはできることじゃない、と。(ここで狂人とレッテル張りをすれば答えは簡単なんだけど、見ればわかるけど簡単じゃない真剣さ、したむきさだ)

 毎月、訪問する公安の刑事さえ、奥崎を刺激しないよう静かに「ご意見をお伺い」して帰る姿が隠し撮りされている。

 告発と罵倒と格闘。日常に逃げ帰りたいかつての戦友たち。はいずるように逃げる元上官の腰を引き戻すようにグィと両手で掴む。戦後の日本の平凡な部屋から、ズル、ズル、ズルとジャングルに引き摺り込む奥崎謙三。

 そしてこの映画は、奥崎謙三が告発する相手のそれも息子に発砲し逮捕されることで、主人公不在のまま終わる。(奥崎は収監されるので、撮影不能になる)

「沸騰する人」奥崎謙三の個性にまどわされることなくこの映画の核心を追えば、戦後民主主義が立ち向かわねばならないものの壁の厚さ、ボコンとした一見、なにもしないように見える不愛想な壁の存在を教えてくれる。

 その壁は、反省しない「人の壁」なんだな。
 そして、その壁は時々押し戻しているようにも見える。
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