○2023年3月19日の日記再掲載
えー、落語の話しに四度(よたび)ほどお付き合いいただきまして、ありがとうございます。でねぇ、止(よ)そうと思ったんですけどね、これが、止まらない。落語のミリキ、魅力のことですけどねぇ、最後の手前のところに1行で書きましたので、ぜひ、読んでいただきたいと。
うーん、これはガキの頃から愛した談志へのサヨナラ言葉でございます。スーッと頭を下げるとそのまま3秒も頭下げっぱなし、あの日の談志へのお別れです。
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「自由、お、お、そいつは饅頭みたいなもんかい、うめぇのかい」
「いんや食い物じゃねぇ、食えねぇ」
「ま、ま、言ってみりゃぁ気分だな。スッと肩が軽くなって、風かなんかがあたって、ちょいとこう心地いい気分だな」
えーと落語の何をぼくらは楽しんでいるのか、という話です。
落語、空前の人気なんでしょ。で、落語の何が楽しいのか、というと、ま、空っぽでね。楽しめりゃいいじゃねぇか、という意見も悪くない。でもね先々、何を残していくかってぇとこで大事になるもんで、よろしくと。
「君、豚に歴史はありますか」
かつて東大の大教授が「先生、私、人々の視点で日本の歴史を学んでいきたいと思います」と申告した研究者に言ったそうなんですね。
言うもんだねぇ、おいら豚だったんだ、びっくりしたなぁモー。モーじゃ、牛か。
落語に出てくるのはみんな庶民だよ。中には「妾馬」みたいに侍になりそうになったりもあるけど、ま、江戸の町人だぁね。
そこんとこだ、江戸の町人というのが、わが日本国に生まれたお初の自由人なんだな。封建の世だからすっかり自由かと言えばそりゃ限界があるわけで。自由の風をひょいと肌におぼえた人々なんだな。
人が自由を覚えた、スッと吹いた伸び伸びした風みたいなのが高座から吹いてくる。だからいいんだね。
なもんで落語家に入門するときびしく江戸前の語り口を練習させられるのでありますね。
「ダメだよ、あいつは訛りがとれねぇ」
このひとことで破門されたのが何人か。ほんとなんだよ。
「春日部、ダメだぁ、あすこはきつい」
「紙切りにでも仕上げるか」という憂き目にあったものさえ、いたんだから。
「新潟から来たあれ、帰そうと思うんだけど、えっ食べちゃったの、かついできた一俵。仕方ねぇなぁ」なんてのもありました。
「それ当たり前じゃない。江戸っ子っていいもんなんだから」
おうっと、それだけじゃ何かが抜けてるよ。その何かというのが自由なんだ、と、まぁお話しさせていただいているわけであります。
かつて家元が、えー談志がね、落語は人間の業の肯定と定義した。一理あるけど何か足んねぇな。本人もわかっていたらしく間際に、あのーこの世にサヨナラする間際に、「江戸の風」と言い置いた。
高座からスーッと吹いた伸び伸びした風、そこに何が、えー、乗ってるの。
お答えします。その風の中味が、自由というものでありんす。そいつは粋というものの親でもありんす。親がいなけりゃ子はできぬ、とも申します。
えー、ながながとお付き合いくださいまして。追い出しがなってるもんで。失礼をば、
「江戸の風」とは「自由の風」といい置いて、風のようにいなくなーる。
デヶデケデーン、太鼓です。
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