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2024年01月24日03:28

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落語「上手い・下手論」�� 味と味わい

○2008年12月17日の日記再掲載

「暮のお忙しい最中、毎度のお運びありがとうございます」
(客席をクルッと見渡す)
「よほど家に居られない事情があるんじゃないかとご同情申しあげますが
 こちらも仕事なんで、ま、おつき合いを願います」
 など暮になると必ず頭に振る、噺家がいましたね。

「ついでに生きてる同士」の、軽い気持ちの良い平等感がサワ、サワ、サワ〜と場内に伝わります。これが落語の味。

 落語の中の味とか味わい、これまた主観に負うところが多いのだけど、それはそれとして、いちばん魅力となっているものだけに、それは一体どんなものか、そいつはどこから生まれるか、についてお話します。

 はじめの回に振った「子別れ」でやりましょうか。

「そうかい、お父っあん、バクチをやめたのかい。
 それで、それで…お母っさんのこと、なにか言ってたかい。
 なにも言っていなかった。そうかい、そうかい」

 ほとんど説明もなくこれだけのセリフ。
 はじめの「そうかい」は
「あー、よかった、よかった。バクチさえしなきゃ、マジメになりゃあ、あの人はほんとにいい人なんだから」というあたり。
 あとの「そうかい、そうかい」は
「どうして気にかけてくれないんだい。どうしてなんだい、あたしはあんたのこと忘れたことないよ。も、も、もしかして、他に女の人、できたのかねぇ」残心の表情ですね。

 ほぼこれくらいの内容を「そうかい」の使い分けだけでわからせちゃうというシンプルな人情描写が落語の世界、で、そのあたりに味とか味わいのアリカがあるのです。

 文章で言えばとてつもなく大きい行間を占めて演じられるのです。
「面倒くせぇなー、全部、説明しちまえばいいじゃん」
という方に。

 これを全部、説明しながら話をすすめればいわゆるクドイ話になってくる。えー、口の中でやってみたらいいですよ、言ってることははっきりするけど実におもしろくなくなるよ。これは、味のない噺です。

 人はひとりひとりが大きな総合だし、そうでなくとも「そればっかりじゃない」という心の複雑なところが出てこなくなるからです。
 人の心は、行ったり来たりしているからね。そこんとこが出なくなる。

「(説明しないと)どうも通じなくなっちゃって」
と考える噺家は小声にしてブツブツとこころの声の仕掛けにして語らせたりしています。
(……どうしてなんだい、あたしはあんたのこと……忘れたことないよ。)

 で、この広い行間の中で聞き手にもその心の揺れ、その「行ったり来たり」をやってもらおうというのが、味とか味わいの役目。

 ゆらーり、ゆらーり、揺れたりしている人の心情を、ゆらーり、ゆらーり、そのまま聞き手の心に移したいんだなあ。

 さーて、そいつをどんな空気で聞かせるか。
 そいつは噺家の生き方そのものなんですね。生きて来た情の持ち方てぇのがそっくり出るんです。
 やさしかったり、薄情だったり、利口なやつはどうにもはっしっこそうだったり、人はいろいろあってそっくり出るのです。

 これがね、若い内はどうやっても人の掴みが一面的で味がない。小賢しい一時の判断くらいの味しかでないのですよ。
 少なくとも60年くらいの風雪をかぶっていないと、いろいろありながら生まれて生きて死んで行く、人てぇものの総合感がまるででてこないのですね。

 たとえば、です。一度別れた亭主のことが気になって仕方がないという女房。そこそこ若い利口者に言わせれば

「いちど決めたことを、およしよ馬鹿げてる」でオシマイ。
「えー、お前さん、なにをもとに“いちど決めた”んですか」と言いたいね。そいつをね、コチトラ分解して言えば、そりゃあ一時の損得で決めただけのことなんですよ。人生というちょいと大きなものを背負っていたにしてもです。

「損得よりちょいと重いものがありゃしませんか。ほーら、あるでしょう」そんな揺れが味の中には込められていてね、それは曰く言い難い「情」というものらしいんですよ。では情とはなんなのか。

 ちょいとはしょります。

 情というのは、つまりは「やさしさ」なんですよ。
「いろいろ人生やってみると、情のない人生なんてたかがしれてるよ。みんながみんな金持ちになるわけじゃないし、なったところでね、これまたしれているよ」
 と、まあ人生の達人にほぼなりかけのジジイが言うわけですよ。

 もうひとつの例、例えば馬風の「次の会長」というネタね。
「あいつはもう危ないよ」など連発するのだが、若いうちはちょいとブラックなユーモア。けれどね馬風自身がここまで歳を食ってくると、ひとつひとつが愛おしみに変貌しているんだよ。ジジイへの愛の世界なんですよ。計算なんてとうにサヨナラだ。ま、こうして馬風も味がでるようになったんだ。あの馬風がね、もとはカエルがね、ですよ。
 というわけで、ぼくは以前ほめたわけ。(ぜひ、一読を)
 
 キンコンカン〜なんだこの音は

「あ、いけねー、こりゃ持ち時間をオーバーしそうだぃ、本日の高座はここまで」、ペたんこの、お辞儀です。

                    ○

 追加講義:

 落語は(大きな総合としての)人の味を味わうものです。たとえ熊さん、八っあんでもね。実はここが自由民の声、落語のえらいとこ。

 で、ね「その味は、一体どんな味で出来てるの」
という質問が次に出てきます。これね、落語の世界ということで好きもの同士で言わずとも通用する世界、約束の地なんだ。

 この約束の地のことは、続・ぼくの落語論5「おめぇなぁ、自由って知ってるか」に書いています。これは、いいよ。そして、実にさっぱり味わいの終点の答えが出るはずです。人はどうして落語を愛するかまで熱心に書いてます。(23年3月19日の掲載です)
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