松本人志の人間性を知りたいのですか、それはねぇいい方法があります。
「山崎邦正の芸人生活を見ればいい」
というのがはじめからのぼくの意見。邦正の悲しさを見ればすぐわかること、
「え、わからない」
それはねぇ、オツムの中が松本人志に同化しているからだよ。
○
「ガキの使いやあらへんで(略ガキツカ)」の人気は、ただただ山崎邦正の「泣き声」で、できていた。
邦正が松本にネチネチとイジメられる。それをベソかき寸前で堪える(半ば泣いていたかな)邦正。
「お前、ガキツカ卒業や。おめでとう」
「いいえ辞めません、来年もガキツカのメンバーです」
イジメ企画の最高潮はガキツカの「山崎邦正・卒業シリーズ」。邦正を卒業とは名ばかりのムリクリの追い出しを図るという企画。邦正はひがみついて汗ビッショリ、汗と涙がひとつになってそりゃあひどい様子。
反対に松本はなんらカラダを使うことなくしれっとしている。ギャップがあればあるほど面白いというのが松本人志の読みだろうが、まさかローマ皇帝でもあるまいし、いい加減にしろとぼくは言いたかった。
○
言うに事欠いて、山崎の立場を「松本はヘタレキャラを作り出した」と芸能マスコミは褒めたたえた。
「おい、おい、お前ら、馬鹿か」
イジメられるのが主役ならよくわかる。主役がイジメ側に回ってエヘラエヘラ、上から見ていてどうすんだ。笑いの意義がどういうものか。これじゃあ、ただ悪さをしているだけの演し物だ。
お前らこと、芸能マスコミはどうやら本気で馬鹿だった。笑いの文化論をまるで知らないんだ。
○
精一杯、好意的にいえば、マスコミと一部文化人は、松本人志にカフカを感じたのかもしれない。理不尽なものの存在する社会という視点だろう。
けれど主役の位置なんだ。あの榎本健一こと、エノケンならイジメられる主役は絶対に自分。「笑いは反権力だ」とカラダで知っているかつての大コメディアンは、
「上から見ていてお笑いになるか」
と、もう反射的に感じるのです。
○
では山崎邦正は屈辱と大量に垂れ流した鼻水以外にガキツカから何を得たのだろうか。
吉本の直営の小屋のある新宿南口、ルミネの前でビデオカメラを回す役目、そいつをありがたく得たとでもいうのか。
「馬鹿も、休み休み言え」
近くに止まった白い車に、画像を見せに走って行く。すると中には相変わらずエヘラエヘラと松本が待っている。エヘラエヘラと鼻水のギャップ、これこそ松本の笑いの実態なんだ。そいつは手のひらで鼻水まみれになった屈辱が作り出す、小さな地獄そのものだ。
○
「ぼくはもう嫌です。奴隷暮らしはもう金輪際です。ぼくは、幾つになったと思うのですか」
山崎邦正は恥ずかしい奴隷暮らしから逃亡するために、さまざまな芸の工夫をしていました。それは五目芸といってもよい幅の広さです。
ある日、落語のマネ芸をしていた山崎邦正に、月亭八方が寄ってきて声をかけた。
「あんた落語家になったらどないや。ゆくゆく月亭、名乗ったらええでぇ」
5年前、山崎邦正は月亭方正になった。こうしてひとりの奴隷は解放された。奴隷解放記念日は5月11日、月亭八方は大阪のリンカーンになりました。
○
山崎邦正は解放された後、あのショパンの「別れの曲」を弾いただろうか。
実は、松本にイジメられる原因がこの「別れの曲」だったのではないか、と邦正はうっすら感じていたはずだ。松本の複雑で、曲がりくねったジェラシーは自分の奴隷程度の邦正がピアノを弾く姿を心の奥で許すことが出きなかったはずだ。
自分の、自分たちの貧乏生活が不用意に、惨めに浮かび上がってくるからだ。ぼくは、そう思う。
○
追記:
山崎邦正がビデオカメラを持ち「奴隷女衒」をしていた、などの報道があります。
情けないけど、本当なら反省とかそれ以上のことをしなければいけないでしょう。
けれどね何があっても、前よりはさっぱりした人生が送れるはずです。
松本の奴隷よりはマシです。
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