ぼくは藤圭子の中学生時代を「正義を抱く少女、継ぎ接ぎだらけのジャンヌ・ダルクとして15歳を生きていた」と書いた。
日々の生活さえおぼつかない不安定な暮らし、(みんなが助けてくれた修学旅行を除いて)一度も遠足にさえ行ったことがない藤圭子。崩れそうな15歳を支えていたのは
「自分は正義を生きている」
という、言わばこころの張りだった。このこころの張りが、痩せっぽちで、150cmに満たない少女を同級生に「別格」とまで言わせた正体なのだ。卑屈さなどまるで感じさせない真っ直ぐな姿勢、オール5の少女。
美意識の哲学者、九鬼周三は、吉原の遊女のこころの張りを著書「いきの構造」の中で主題の「いき」の現れのひとつとしていた。ぼくは藤圭子の中の張りの中にひそかに通じるものを感じていた。
こころの張りとは簡単な言葉に直せば「やせ我慢」で、そいつを藤圭子に当てはめてみれば、まさしく九鬼が讃えるだろう「いき」という美意識を生きる人間になっていたはずだ。殊更に押すのではない、控えめな姿勢、その中での張り、誰にも気づかせないひそかな「やせ我慢」。
だから、ほら、藤圭子は大人になってどんな「正義の女」になったのか。同級生だって、中学の先生だって、楽しみにしていたんだ。みんなの夢だった。
だがここに来て、正義をまっとうできなくなっていった。理由は、身の内にどうにも正義とは言えないものを抱えて生きるハメに陥ってしまったからだ。それは、まるでヌエのようだった。規範とは縁遠く結果だけを求めて姿や立場を変えて生きる人間の存在が藤圭子を混乱させた。
この混乱が、そのまま藤圭子の精神に影響がなかったのか。それは大いにあったのだろう。胸に放射線の被曝ゲージでもあればわかりやすいのだが、なにか目には見えない鬱屈が溜まり時々、臨界に達した。つまり何回も繰り返す離婚の元になっていた。
ニューヨーク暮らしの間は、ヒカルを育てるというアイデンティティーが藤圭子の正義を支えていた。日本では清泉インターナショナルという学校に通っていたヒカルは、アメリカでもやはり勉強は「デキた」。ヒカルの成績について自慢をしたという記録はないけど「オール5の少女」を受け継ぐ姿をどれほどうれしく思っただろうか。情けないが親というものは自分の良所を子供の中に見つけた時ほど嬉しいことはないのだ。
「ヒカルを歌手にしたいか?そうはならないと思うよ。好きにしてくれたらそれで、あたしはいいわ」
少々ぶっきら棒な話し方をする母親だったけど、愛情を感じるし、それに一家はかろうじてうまくいっていた。
生活は決して楽ではなかった。ほとんどのものを売り払ってニューヨークに来ていたし。ニューヨークでの生活資金が底をつけば、帰国して日本各地を巡り、歌をうたう生活。それでも、家族3人で愛車の「ミニ」に乗って地方を旅した。我がジェルソミーナは「ミニ」の上で、笑顔をつくり家族の旗を振っていた。
地方周りの仕事は、全盛期を考えればギャラひとつを見ても比べ物にならないものだった。けれどどこに行っても藤圭子の人気は絶大で会場は必ずいっぱいになった。
「おばあちゃん、大丈夫ですか」
九州でのことだった。ある会場でさっさと上がりの支度をした圭子が早足で会場を出ようとすると出口のところを、おばあちゃんがゆっくりゆっくり歩いている。
「藤圭子は、えーのお。生きてたらもう一度、聞きたいのお」
声をかけたのが圭子とは気づいていないおばあちゃんは、藤圭子を泣かせた。
その頃、藤圭子は「旅路」をメイン曲として歌っていた。
「わたし もうすぐ
あゞもうすぐ 幸せになる」
星野哲郎が書いてくれた藤圭子、唯一と言って良い幸せの歌なのだが、きっとおばあちゃんはこの歌のことを言っていたのではないだろうか。想像はついた。デビュー前、石坂に連れられて星野哲郎の家に行った日のことが思い出される。「あの時、星野先生が詩を書いてくれたらあたしの人生は…」さあ、どんな展開をしたのだろうか。
ニューヨークに戻ると、家族3人のチームU3(ユースリーミュージック)を活動させはじめた。原資はもちろん日本の地方で稼いだお金だった。スタジオを借り、音を録り、手作りで曲を作っていった。ヒカルは学校からスタジオへ、スタジオのソファーで転寝をし、食事をし、宿題のためにノートを広げた。「スタジオの子」になっていた。
「あたしはね、とにかくスタジオが好きだったの」
「スタジオにいると安心できるんだなあ。あの頃、他に居場所はなかったの」
デビューして1年半、旅からスタジオへ、スタジオから旅へ、という暮らしをしてきた藤圭子の娘は母親と同じように「スタジオの子」となり、それでいて飛び級をするほどの成績だった。それは藤圭子の奥に眠るコンプレックスを格別に和らげるものだったのだろう。
この様子は、日本にいる母親そしてヒカルの面倒を見てくれた(ヒカルからはお母さんと呼ばれた)元付け人のTさんに伝えられなければいけないのだろう。そう思う。けれど叔母の言によればやはり音信不通だった。ここだけに限れば、藤圭子の変調はなぜか続いていたし、正義は揺らいでいた。
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