○2008年08月04日の日記再掲載
ぼく(赤塚不二夫)は、夏の暑いアパートの部屋の中にバッタリ倒れ込んでいる小野寺を見つけてあわ、わ、わ、わ、てて抱き起こした。
『どうしたんだ、小野寺っ』
ぐったりしていて声がない。
赤塚不二夫のいちばん最初の自伝本はこんな風にはじまっている。
それにしても頭の一行の三文字「小野寺」は特大サイズで、ガーン、赤塚マンガのように目玉が飛び出そうになった。あたくし小野寺はびっくりしたのだ。本の中の小野寺は誰で、見ている小野寺は誰なんだ。えーい、ややこしい。
1頁ほど読み進めると、答えが出ます。
小野寺とは「トキワ荘」で赤塚不二夫の仕事仲間というか、アシスタントの仕事をさせてもらっている石ノ森章太郎の本名で、小野寺こと石ノ森はなんと食中毒で脂汗を流しながらトキワ荘の自室で倒れ込んでいたのだ。赤塚が発見して、なんとか救急車を呼び病院に連れて行き、大事件にならずにすんだ。
プルルルル⋯(電話の音)。
「はい、赤塚です」
「小野寺と言います、赤塚さんにお話をさせていただきたくてお電話しました」
「え、え、小野寺さんですか、ほんとに小野寺さんですか」
電話にでたのは、亡くなった奥さんの真知子さんで、声はすっかり裏返っていた。というのは食中毒の小野寺こと石ノ森章太郎は、この電話の頃はもはや今日か明日かの容態で、最後のお知らせの電話を待っているような時分だったのだ。
「石ノ森さん、いよいよ危ないみたいよ、不二夫ちゃん」
と話しているそばから、同姓の小野寺からの電話だ。たまげたー。しかし、実は、ぼくのインタビュー訪問のための電話なんだけど、時が時の小野寺電話。
あまりの名前にドキーンときてしまったらしい。奥さんの真知子さんという人は元スタイリストで、赤塚周辺のことなら名前から電話番号まですべて把握しているという人だ。それだけにこの「小野寺からの電話」のドキーンはドカーンときたらしい。
真知子さんは玄関の脇の椅子に座って、小野寺を待つていてくれた。
ホウキを持たせりゃ仁王様みたいな構えだ。
「赤塚さん、トキワ荘は楽しかったですか」
「楽しかったけど、辛いことも多かったよ、ぼくには」
「寺さんに、なんどもやめて新潟に帰るからって、汽車賃借りにいったよ」
「そしたら止めるんだ。そしてお金をくれるんだ、これ、もってお行きよ、返さなくていいんだよって言うんだ」
「みんな、いい人だったなあ」
注:寺さん、先輩漫画家、寺田ヒロオ
手には真知子さん特製のちょっぴり焼酎入りのグラス(実際にはもうほとんど飲めなくなっていた)。まるで小学生の受け答えのようにポツリポツリ話してくれる。
「ぼくんとこは新潟でね、帰ると暑いんだよ」
電話であれこれやの大騒ぎの後のインタビューの日も、夏の暑い日だった。下落合の神田川沿いの自宅のまわりは、モヤモヤ陽炎がたっていた。そいつは、まるでパンストの中の淫毛みたいだ。ゴッホの絵のように、上にまっすぐ燃え上がっている。
夏が、ばか暑い新潟から中学校を出てまっすぐトキワ荘に来た少年はいまここ、下落合で天才になっちゃった。いまの人、わかんないだろうな。新潟から中学校を出て上京するって、それは大変なことだったのだ。大分前だけど、風呂屋の釜炊きと炭屋の小僧のほとんどは新潟人とずーっと言われていた時代があった。つまり、新潟から東京へは、苦労する人の代名詞だったのだ。
「ぼくねぇ、表に出ちゃいけないの、真知子さんに怒られるから」
「こんなことしてておもしろいのかなあ、きみ、飲む?」
「あのー、どうしてベシなんですか」
「ヤルベシと思ったら、もうベシがでてきちゃうのよ。どうしてかって、あんまり考えたことないよ」
ベシは赤塚キャラのひとつで、元はボウフラなのかなあ。
やっぱり子どものように答えるので、世間の物差しで言えばなかなかインタビューは進んでいないんだけどぼくには楽しくて楽しくて仕方がなかった。だって、表はパンストの淫毛だし、目の前にはギャグの天才がいるのだ。淫毛の夏、日本の夏。
でもねぇ、天才は実のところなんにも答えてくれていないようで答えてくれている。
「考えるっていう方法じゃ、たいしたもんできないよ」
「なんかこう反射神経みたいなもの、そいつが、ま、あたらしいものを生み出すんだ」
そうポツリポツリしゃべり、赤塚は答えていたような気がする。
そして、もうひとつ、偉ぶらないこと。これだね、これだ。その瞬間、ピカッー。偉ぶらないことがあたらしいものを生み出すピカッーの素なんだ。
ぼくの頭の中の電球も光ったので、すっかりぼくは安心した。
そうしておどろくほどのはずかしがり屋だということにも気が付いた。だって手のグラスは照れ隠しグラスなんだ。
「あのー、すいません、ぼくみたいにたいした仕事でもないのに長居しまして」
「えー、いいみたいですよ、どうぞどうぞ」
これ、真知子さん。
「ぼく、大丈夫だよ」
これ、不二夫ちゃん。(もうナレナレしくなっています)
あー、もうたまらん、不二夫ちゃんはぼくを仲良しあつかいだ。共同流し台で(キャン玉冷やしの)水風呂とかありがたい話が続いて。
でも、そうも行かないよね、後10分ほど雑談をして失礼したのですが、その帰り際、
「じゃあね、寺さん」
と不二夫ちゃんは声をかけてくれて、小さくニッコリ笑いました。ぼくは、えっ「寺さん」ですか、少しはトキワ荘の「寺さん」になれたような気がして、神田川沿いをニコニコしながら帰りました。道々、変な人に思われたかもしれないなあ。
もう10年位前になるのかな、今年と同じくらい暑い夏だった。淫毛がまっすぐ燃え上がる夏だった。
(注:取材時、1995年頃かな、この記事を書いているのは2008年です)
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