五木寛之は、藤圭子を助けることはできなかった。
なぜ、どうして。
「この歌い手が、こういった歌を歌えるのは、たった今この数か月ではないか、という不吉な予感があった」
藤圭子の歌に「怨歌」と名付けた五木だが、同時に彼女の歌が短命かもしれないという幾分、辛い予言をしていた。その11年後、五木は藤圭子のこれ以上のない急場に向き会うことになった。一度は引退した歌の世界への復帰、予言の裏返しのようにそこで五木は思いもかけぬ場を与えることになる。
五木が原作で大ヒットしたドラマ「海峡物語」の続編。その中で藤圭子は自殺した兄の仇と信じる「演歌の竜」を追ってアメリカから帰ってくる。反対に「演歌の竜」は、藤圭子を助けようと待ち構えている。演歌人生、最後の仕事として。過去と現在、現実と虚像が入り乱れるドラマ。もしかすると五木は、
「さあ、藤圭子よ、わたしをを飛び越えて、もういちど時代の自由の旗を振ってくれ。ぼくは、かまわないから」
もちろん口には出さないがそう願っていたのかもしれない。五木にとっても久々にルサンチマンの魂がうずくように湧き出していたのだろう。
これでこれで 右左
これでこれで 西東
時計外して放り込む
一度は死のうとした川が
ドラマは順調に滑り出したが、主題歌「蛍火」は一向に伸びない。なぜなのか。作詞は阿木耀子、彼女には藤圭子を前にすると純文学と死のイメージが、天から注ぐレンブラントの光のように舞い降りてくるのか。
蛍の火。ほのかだが消えない。それは、遠ざかり、宙を舞い、消えない未練の光。妖艶だが難解さも連れてくる。
それにしても歌い切れていない、藤恵子らしくない。理解者であり、ある意味惚れ込んでいるプロデューサーの酒井忠利によれば
「歌のうまさは引退前をずっと超えている」
というのだが歌い切れていない。季節外れの蛍が、「さ迷う様子」が、「ただよう様子」が出てこなければこの歌は生きて人のこころにポッと光を灯すことができないのだ。
当たらない歌だった、芸能の評価はこの言葉を突きつけられればもうなにも言えない。
「そうだったんですね、気づくのが遅れてすいません」とでも言うしかない。
「螢火」(81年10月)は100位内にもチャートインしなかった。
酒井は、いまも大きな後悔が残っていると言う。
「当時の新しい事務所と彼女にトラブルが生じて、告訴にまで発展しました。とてもじゃないがキャンペーンを引き受ける余裕もなく、失敗は目に見えていた」
トラブルが大きな影響を与えていると、酒井は遠回しに言ってくれている。
新しい事務所は、復帰の声をかけた藤原成郷氏が、藤圭子のために興したニュージャパンプロダクション。すべてを用意しスタートしたのだが当たらなければ軋みが生まれ、やがてトラブルになる。
そして、そのトラブルとは詰まるところ、宇多田照実の存在だった。
女性歌手のそばにぴったりとくっ付いて離れない大きな男がいる。それも様子を見ながら次第に口を出す。
すべてが順調ならまだ問題にならないのかもしれない。いやぁ、それも余計にダメなんだろうな、口出しが増すだけだ。考えれば、容易に想像がつく。
この時、名前を「藤圭似子」と改名していた。だが、なにに似せたいというのか。圭子という名前に似せたくて圭似子にしたというのなら、それは悲しくて無駄なことだ。自分に似せるという言葉になんの意味もないし、ましてや藤圭子は本気の歌手なのだ。
「藤圭子は死んだのよ」
喉の手術後の自分を指して言う捨て台詞の反語なのだろうが、藤圭子は二人いない。
海峡と蛍のドラマは、こうして虚しい手応えの中で終わったように見える。
五木寛之も遠目であらかたを見守り、静かに遠ざかった。だが時間が経つと少しだけ様子が変ってくる。
CBSソニーで唯一のLPとなった「蛍火…その後」は、後年
「歌の上手さは初期以上になっている。全曲魂入りのできばえだった」
という評価が酒井はじめスタッフなどからでている。それは「忘れてはいけない」という声のようにも聴こえるし、もっと言えば激しいバッシングが、藤圭子の歌を聴く人のこころを押さえ込んでしまっていたのかもしれないという悔いもでてくる。
しかしこれも芸能の宿命なのだろうか。
ぼくは「蛍火」を何度も聴き直してみる。「面影平野」と比べて聴くと、懸命にわかりやすく歌おうとしている藤圭子がいた。けれど、この努力は誰にも話してはいないのだろう。当時の芸能記者たちのジョークを思い出した。
インタビューしにくい相手、一にお相撲さん、二に藤圭子。
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