少しおどろいてもらえたかな。今日の話は言葉、それも母音の話です。
広い意味では音声学というやつ、おっと、そんなに引かないで。そのまま、そのまま、動いちゃいけません。嫌なんでしょ、わかります。そういういたって面倒な話をごくごく簡単な話にしますので読んでください。そのためにテレサテンも特別に出てきます。
まず日本語から。日本語の母音は、はい、アイウエオの5音ですね。ドレミは7音です。すでにして2音足りませんよ。ではドレミをアイウエオで歌ってください。アイウエオアイ〜、すーっとなめらかに歌いづらかったりしますよね。これが日本語の特徴。
次は英語。基本の母音は5音、けれど長母音、短母音と合わせると15音(諸説ありますがさらに鼻母音などと合わせると30音)です。
もっとすごいのは中国語、基本の母音は6音、鼻母音などを合わせると36音とされています。
いろんな数字が出ていますが「日本語は母音が少ない」、これだけ覚えてもらえれば充分ですよ。それぞれの数字はただただ証拠として出しているだけです。
母音が多いとどうなるか、ここでテレサテンの登場です。
テレサテンの歌の魅力はなめらかさと言葉の新鮮さ。テレサの歌うなめらかな音色が、あの「愛しき人」のやさしい肌の感触を聞く人のこころに届けます。では、そのなめらかさとはどこから生まれるのか。それはゆたかな母音にあります。
やさしすぎたの あなた
子どもみたいな あなた
明日は他人同士に なるけれど
日本語にはない母音がかすかに言葉、特に語尾にあらわれます。
アという母音をいくつかのア系の母音に小分けしてている、という音の姿です。もちろん本人は日本語で歌っていると思っています。けれどかすかに母音が変化します。それは当然のことですね、知らぬ間にかすかに変化しています。その控えめなトーンも聴く人に「やさしさ」として伝わります。実にいい効果ですね。
わたしよりも可愛い人 探すことよ
と、まあサビで歌い上げてもなめらかで、やさしいのです。
えーと、ここのところのひかえめな歌い上げは絶品です。ひかえめな美しさは、もう二度と聞くことのできない素晴らしさ、なのでここだけでも聴いてください。
次は言葉の鮮度です。
外人歌手に日本語の歌を歌わせる、という手法はかなり前からあります。いちばんわかりやすいモノから、
雪が降る あなたは来ない (アダモ「雪が降る」です)
今日でもう お別れなの (ミーナ「別離(わかれ)」です)
終わりにしよう キリがないから (欧陽菲菲「ラブイズオーバー」です)
欧陽菲菲ではないが、まことにキリがありません。このキリがないほど当たる秘密も耳慣れない母音による言葉の鮮度から生まれています。
「雪が降る あなたは来ない」このフレーズをはじめて聴いた時、あなたはハッとしたはずですよ。では他の、例えば日本人の歌手の声だったらハッとしたでしょうか。もちろんそれぞれの歌手の魅力によるモノなのですが、ハッとさせる言葉の力はアダモに勝る人はいないでしょう。
「終わりにしよう キリがないから」なども、聴き慣れたなんの変哲もない日常語を欧陽菲菲ならではの発音に乗せることで、新しい言葉としての鮮度と生命を与えているです。
「あれ、なんだ、キリがないからって。家で女房にビールを止められた時と、ちょっと違うぞ」
など感じるのです。
長くなりました、いよいよ宇多田ヒカルの話です。
宇多田ヒカルは日本語と英語を話せます。他にも話せそうですが常用語としては日英です。ここで簡単な足し算をします。(頼むから、笑はないようにね。よーくできてるんだから)
日本語の母音は5、英語の母音は30、えーと合わせるといくつになるでしょうか。
はい、35です。
35と言えば、はーい、なんとテレサテンと同じ数ですね、宇多田ヒカルはテレサテンと同じだけのゆたかな母音を持っているのです。自分でもびっくりするようなぴったり足し算。ここで、「宇多田ヒカルはテレサテンと同じだ」と言う説が成立します。
昨日のコメントで現在の「語り」の名人は宇多田ヒカルと書きました。つまりこのゆたかな母音が作り出すなめらかさが、他にないリズムを持ちながらの、言わば誘惑のような「語り」を作っているのです。
そうしてね、ここのところが母親、藤圭子に「うちの子は天才よ」と言わしめたところ。それにもしかすると「これだけは自分にはできないかなぁ」と思っていたのかもしれません。
藤圭子の最後の歌は「天国」という歌です。宇多田ヒカルからのその返歌が「花束を君に」とされています。二つの歌のなめらかさを聴き比べてください。そして、まあ、深読みかもしれないけれど……深読みかもしれないけれど泣ける詩だね。
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