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2023年10月31日08:51

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流星のひと。30 本気の声で、本気を歌う。

 この人の人生には、本気しかなかったんだろう。

 書くことが止まる時がある。どうしようかと迷ったり、先が見えなくなったりするのだが、その都度、藤圭子の歌を聴くとなにかこうグィとこころが押される気がする。
 藤圭子の歌の中心になっているのは、技ではないような気がする。極端に言えば、芸能とか芸とか呼ばれる架空のものではない「なにか」。もっと実態のあるものが、藤圭子の歌には込められていて、そいつにこころを揺さぶられていた。というのが、起っていたこと。

 いまいちばん至近な言葉で言えば、本気。ひとりの人間が本気でなにかをしている、その実在感がこころを打つ。そういう歌なのだと、いまもぼくは思っている。

 藤圭子も多分に意識していたのだろう。手術で声の変化をきたした時、立ち直るために彼女が目指したのは上下に音域を広げほぼすべてを地声で歌うという唱法だった。
 ほぼすべてが地声、これは日本語と歌の幸せなゴールなのだが、藤圭子の挑戦に何人の人が気づいていたのだろうか。

 さて、わかりやすい例を上げてみよう。

 森進一の「さらば友よ」という歌がある。阿久悠の名作なのだが、この歌には相反するふたつの要素がある。詩は「語り」でできていて、反対に歌(メロ)は「歌い上げ」なのだ。語りながら歌い上げる、この超難題を森進一は見事にこなしている。では、他にはと言えば藤圭子しかいないのだ。それも森進一にしてさえ、語りと歌いあげのバランスの取り方で詩が少し聞き取りにくいところがある。藤圭子は、ほぼ完璧に「詩を語り歌い上げて」いる。

 この次の汽車に乗り 遠くへ行くと
 あの人の肩を抱き  あいつはいった
 お前にはこの恋を  わかって欲しいと

 繰り返しそう言って あいつは泣いた
 さらば友よ     もう何も言わない
 ここでここで    見送ろう

 前半部を「語り」、後半を「歌い上げ」という区分けで乗り切るという方法もあるが「歌い上げ」を予感させる「語り」でなければ、この疼(うず)くような切なさは表現できるものではないだろう。
(と、ここまで読んでもらえたら一度手をとめて歌を聞いて欲しい)。幾分かは納得してもらえるのではないだろうか。

 その上、「ほぼすべてが地声、これは日本語と歌の幸せなゴール」と書いたのだが、これにもぼくなりの答えを出します。
 この歌の手応え、存在感はクラシック系の発声ではほぼ実現不可能なこと。日本語は地声の言葉で、例えばベルカントでは日本語の「語り」は無理なのです。そして普通に歌ってもベルカントの日本語では音楽的になりすぎ実在感を失い、詩のこころはファンタジーに片寄っていくのです。

 ファンタジーな世界が好きな人は、もちろんそれはそれで良いのです。宝塚の世界が良い例。その分、実態感がないのです。ちなみに少年宝塚を目指したのが、ジャニーズです。上手とは言い難いけどね。

(この地声文化のルーツは、近くは浪曲だと思います。ただし浪曲にも流派があり、藤圭子の父親、松平國二郎の節を聴いたことはありません。松平國十郎の弟子であることから、軽い調子ではなく語り調子では無いかと想像します)

 本気の声で、本気を歌う藤圭子。


 話があちこちに飛びます。
 藤圭子はいよいよ復帰の話に乗り、日本に戻ってきます。その前に、藤圭子の歌の魅力とはなんなのか。確かめて置きたくて書いています。というのは実は、藤圭子の復帰の理由が本気唱法の完成度をもう一度、世間に訴えたかったのではないかとぼくには思えるからです。

 こころの病さえ治れば
「あたしは日本一の歌手なれるんだ」
そう思っていたんだと思います。

「あのー、世の中、動いていますから。二年前のこと、もうおぼえていないんです」
 復帰の記者会見で記者に詰め寄られると、藤圭子はこの通り答えていた。その後の藤圭子の言葉を追えば、これは嘘がない。ないのだけど、世間を納得させるにはあまりに薄い言葉だった。榎本ディレクターの「淳ペー、そいつは無理だよ」の言葉通りでさすがにきつい船出だった。

「あたし、やはり歌が好きなんです」
 そう言えばほとんどの切っ先は交わせるはずなのに、なぜそう言わないのか。傍目にももどかしい。「歌が好きです」と言えば素直に頭を下げられるし、記者たちもひとりのけなげな歌手をそう責めることはできないはずなのだ。だって悪役なってしまうからだ。
 けれど中学校の友達の言葉を借りれば
「純子は一切、泣き言は言わないんだよ」
と言う。正直で、ケレン味はまったくない彼女らしさをよくも悪くも見せていたが、上手く交わすことができない、「かたくな」な性格とも言えるのだろう。「かたくなさ」とはなにか。思い出せば、父親にキセルで手を打たれた時、泣くでもなくじっと堪えていた阿部純子の顔がフラッシュバックのように浮かんでくる。
 自閉する少女、藤圭子の大きな一部分かもしれない。

 記者会見の後、ナベショーの出入りの記者が宇多田との関係を確かめようと広尾のマンションへと追跡した。
 はじめはドアの横で様子を伺っていたのだが、もっとよく探ろうとドアに付いたポストの受け口を開け、耳を付けると藤圭子の歌が聴こえてきた。そこからまるでヒットパレードのように歌が続く。

 そして歌本の中の曲を歌い尽くしたのかギターがいっとき止まり、宇多田がギターを弾き、なんと前川清のヒット曲が続いていった。
 それが明け方まで続き、記者はすべて聴きなんとも不思議な感動をおぼえた、とナベショーに報告した。
「広尾は雨ではなかった」そうだ。
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