◯2008年3月27日掲載
石っさんは、石塚という。
身長5尺8寸(175センチくらいかな)、がっしりとした肩、当時としては相当な大男だった。当時というのは、東京オリンピックの少し前、1961〜2年の頃だ。
地下足袋にニッカボッカ、やや厚手の薄いグレーのダボシャツを着てやって来る。
黙って座って1日、碁を打って、そうして
「親父っさん、ありがとうございます」
両膝に手を置いた、独特の挨拶をして帰っていく。
毎日ではない、ポツンポツンとやって来る。
「石、どうした閑(ヒマ)なのか」
父親が聞くと、
「どうも芳しくないですね」
子どもが聞いていても、大層、おさえた話し方だった。
だんだんわかってきたのだが、石っさんこと石塚はもともとウチの若い衆だったらしい。ウチの父親が大病を患った。その時、手放した5、6人の若い衆それぞれが渋谷界隈に収まったのだけど、石っさんこと石塚はそれを限りにカタギになったのだ。
ナリ(服装)を見てわかる通り、肉体労働をしている。大きなカラダを唯一の元手ではじめたのだ。そうして、仕事のない時は顔を出して碁を打ちに来る。
ところでなぜヤクザ者が碁が好きかというと、ツトメ(懲役)の中で許される数少ない娯楽のひとつが、碁だからだ。
ただし、やたら世話しない碁になる。短い休憩時間の中で勝負を終わらせるには、時間をかけるわけにはいかない。相手が打つと、煥発を入れずに打つ、プロが稽古でやる1秒碁になる。
ナカの盤と石は、ダンボールを飯ツブで張り合わせた手製のものだ。その紙の盤をはさんで頭をぶっつけあうようにして、
「お、お、おっ」
と、かけ声をかけながら打ったりする。
とりようによっては表に出るとあまり品のよい碁ではない場合が多いのだが、石っさんは座っていても寡黙な分だけ一種、風格があった。
「石っさん、仕事はなにを」
「植木屋ですよ、石をかついだり、力仕事だけは人に負けないんで」
ぽつぽつと相手と言葉をかわしながら、ゆっくりゆっくり紙ではない本物の石でできた碁石の重さを指の先で確かめるように打っている。
「親父っさん、わたしら、なかなか強くならないですね」
そうなのだ、30を過ぎて碁を覚えた者はなかなか強くならない。固定観念が強くなり過ぎていて、どうしても思考のしなやかさにかけるのだ。
でも、ぼくにはしなやかさに欠ける様子さえ、なんとも男らしく思え、好感が持てた。
そんな石っさんとの日々が続くのだが、秋口のある日、台風がやって来て、庭の杉の木を倒して去っていった。
子どもの顔ぐらいの太さの杉だった。
見事に横倒しになったその杉は、玄関までの道をどっしりと塞いでいた。
「こりゃ、どうにもならないな」
「親父っさん、まかせてくださいよ」
ちょうどやって来ていた石っさんはそう一言だけ言うと、やにはに杉を肩に担いだ。
メリメリメリ、メリメリメリ、杉の根が大きな音をたてた。
石っさんはぼくに背中を向けていた。
少し離れて見ていたぼくには、石っさんの姿は先週見てきたばかりの映画『ユリシーズ』の“ひとつ目の巨人”のようだった。そうして大きな地下足袋は大地を踏みしめ、じわりじわりと杉を直立させていった。
大きな地下足袋はだんだんと歩幅を広げ、足の指先で足元の土をつかむように、大地を踏みしめていた。
石っさんはこうしてカタギという大地を踏みしめているんだ。ぼくがそう思ったのは、それから大分たってからだ。
「石、一杯飲めや」
「仕事したんだから、親父っさんの前で飲んでいいんですよね」
石っさんはグビグビグビと咽(のど)を鳴らしながら冷や酒を飲んだ。父親の前で酒を飲めたのがよほどうれしかったらしい。
昔のヤクザ者は自分の親父の前で酒を飲んだりできないのだ。
それからまもなく建築ブームがやってきて、石っさんは家に来なくなった。消息はわからない。
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