一に瞑想、二に生活、三に学問。と言っておく。
生活は基盤であり、重要だ。学問も程良いなら楽しい。
戒律は、九つ挙げる。
盗むな、殺すな、犯すな、嘘をつくな、酒を飲むな、
あらゆる善を為せ、あらゆる悪を離れよ、瞑想せよ、怒るな。
としよう。
欲望に生きるのは苦しい。
快楽と苦行は離れよ。カッコいい修行なども出てくるかも知れないが、
中道瞑想で良い。真言を唱えるのは、意外に重要だ。
そもそも、因縁であるが、余分な因縁を払い落としていくのが道だ。
従って、出世間は、効用が認められる。
ただ出世間でも瞑想しないなら、意味がない。怠慢であり、見掛けだけの修行者だ。
他人の修行の進みがどうだとかは、要らない。自分の修行に心を置くべきだ。
導く者も、よく心底を観て、助言するべきだ。
ここには慈悲がある。慈悲故に説法がある。
しかし、あまり言うものでもない。
私は、なるべく一日一回くらいを目安に、こういう助言をしてきた。
こういうやり方で良い。
出家しなくても、修行は可能だ。
私も、仕事をしている訳でもないし、出家している訳でもない。
家に居ながらだ。これを居士と言う。
ただ、快楽に溺れないし、苦行を課す事もしない。
瞑想一本だ。瞑想が道なのだ。
それに大食は、あまり良くない。
ゲームもはまり易いのであまり良くない。
居士法では、風流は推奨される。
句や書、棋なども良い。
まぁその道の者にはならないが。
その道の者は、一日中でも、それを考えている様な人たちだから。
寝過ぎも良くない。
昼寝も二・三時間にするべきである。
それで、一に瞑想、二に生活、三に学問と言っておく。
この道は、これである。
ログインしてコメントを確認・投稿する