2013年8月22日は藤圭子の命日、その8月22日の前日、宇多田ヒカルが「まつもtoなかい」という番組の中で主に2つのテーマで話しをしていました。(息子にメールで教わりあわててチャンネルを合わせました)
� 嵬民栃震遏廚砲弔い董↓◆峅颪い燭た諭∩粟鄒供廚�2つです。これ、数十年にわたるファンタジーの一部を切り取るようで、ぼくはとても感心しました。そして、あちこちで評判にもなっているようですね。そこでも内容を確認しました。
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「母ちゃんの面影平野、カッコいい」
宇多田ヒカルは30代の頃、音信不通の母親にむけて、
「お願い、どこかで聞いていて」
とラジオ番組で発信しました。
ぼくは、それを知って「この子は利口な子だなあ」と感心しました。というのは「面影平野」の隠されたテーマは自殺願望なんです。それを宇多田ヒカルは読み取っていて、だからどうしても伝えたかったというのがその時のホントの気持ちだったのでしょう。親子だからできる見えないキャッチボールです。
その上、藤圭子は面影平野について
「あたしはね、あの歌がそんなにいいとは思えないんだよ」
「歌の心というのかな、歌が持っている心みたいなものがわからないの」
と言っています。彼女の歌手人生のトラウマにさえなっているように聞こえます。宇多田ヒカルは
「それ傷なんかじゃないから、カッコいいよ」
「勘違いしないでよー」
といわばダメ押しさえしています。それがラジオの言葉の本意です。
ぼくはシリーズ11「言葉の命火」の中で、次のように書いています。
この迷いとは、「面影平野」の持つ歌謡曲の限界を超えそうな文学性にあって。「歌のこころがわからない」という圭子の揺れはそのまま逆に「人は揺れている」という表現になっていて、この歌を見事な純文学としての領域に仕上げています。
だから、この歌は後世まで残るだろうし、ヒッキーは
「母ちゃんの面影平野、カッコいい」
と叫んだのです。
「母ちゃん、そこのところわかってよ。間違えないでよ」というヒッキーの必死の願いなんだと思います。
けれど時は流れ、そしていまカラオケで面影平野を歌うという。
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前川清は離婚会見の前日に
「俺はずっと待っているから」
と藤圭子に伝えたそうです。
藤圭子は、当時、父と母のモメ事を整理し、母親の生活の基盤を確保することに気持ちを集中していてあまり耳に入らなかったようです。
けれど前川清はずーとその約束を守り、宇多田照實と結婚しヒッキーが生まれるまで独身を通しました。
このことは長年、藤のマネージャーを続けた成田さんが、なんとも思い出深く伝えています。
「純ちゃんはいつもよりにもよって…」
と母親に言い続けられていた藤圭子なのだが、さあなにか言い置いたことがあったのか。男の純情について、幾らかの理解の変化はあったのだろうか。
というようにヒッキーのトークは、数十年にわたるファンタジーの一部を開くような感触なのですが次に話してくれるのはいつのことだろうか。こちらにも少し事情があってできるなら早いほうがいいのになあ。母ちゃんに近い、年齢なのです。
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