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2023年08月15日04:15

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シミキンの息子。

◯2006年12月11日の日記再掲載(加筆)

 戦前の浅草の喜劇王であった、シミキンこと清水金一は、戦後になってあっという間に人気を失くしていった。アドリブ一辺倒でややアナーキーな芸風が、時代と少しズレてきたのだろうか。
 そのシミキンを元松竹の女優、朝霧鏡子は最後の最後までシミキンを支えるために働いた。
 その姿を色川武大は「懐かしい芸人たち」に活写し、その一文もあってか後年、芸界の美談とされた。
 ぼくのこの文は、色川武大先生の文章をいわば本歌として、シミキンとその家族の「続き」を書いたものです。拙いけど、色川武大先生の追いたいのです。

               ◯

 シミキンこと清水金一の息子は、西麻布の交差点を少し六本木に戻ったところで、バーを開いていた。

 カシャ、カシャ、カシャ、パキーン。
 ドアを開けるとこの音が飛び込んで来る。ホッケー盤の上をパックが滑る音だ。特になにもないバーなのだがこれが売り物だった。 
 若いマスターがホッケー盤の名人なのだ。

「ぼくに勝ったら、ボトル1本サービスしますよ」
と、まあ、マスターは言うのだけれど、誰も勝てない。それどころか1点も取れないうちに、決定点の3点を取られてしまう。

 不思議なくらいだったなあ。あのホッケー盤の上でマスターはパスをするのだ。右手でカシャ、左手でカシャ、もう一度右手にわたしてシュート。見とれているうちに、点をとられてしまうわけ。

 ぼくは毎日、毎日そのバーに通った。1点でも取りたいと思ってね。やっと1点を取れたときは1ヵ月はかかってしまった。それでももちろん勝負は負け。
 そして、バーボンを飲む。

「毎日、来ていただいてありがとうございます」
 マスターはやさしそうな声で礼を言ってくれるのだけど、ホッケー盤だけじゃなくて、マスターの顔にもなぜかなつかしさがあって飲みに来ていた。どうして、なつかしさがあったのか。大きな目、少しかすれたやさしい声。

「大分、上手くなりましたよ。でも、ぼくまではまだまだ」
「でも疲れるね。どうしてゲーム盤でこんなに疲れるかね」
「じゃあ、きょうは歌いますか」
 そんな日にはマスターはギターを弾いてくれた。ギターもなかなかのものだった。もとは役者なのかなと思っていたのだけど、その答えは、珍しい訪問者が教えてくれた。

「はー、どうもいらしゃいませ、朝霧と申します」
 マスターのお母さんが入り口できれいな着物姿で挨拶してくれたのだ。マスターは大急ぎで隠すようにするのだけれど、お母さんは実にきちんと挨拶してくれるのです。マスターは、はずかしがるのだけど、ぼくはこの場違いなお母さんがひと目で好きになった。この場違いな挨拶が、マスターの人生の味を秘めていると感じたのだ。

 そうして、名前には聞きおぼえがあった。
「朝霧、朝霧、朝霧…えー自衛隊の新聞は朝雲で、朝霧、朝霧と言えば、え、え、清水金一の女房だ」と気がついた。

 気がついたところで、お母さんはともかく、マスターはよろこばないと思うので、ぼくはなにも言わなかった。そして、もちろん飲みに来ている誰もが、言ってみたところでもはや知らないだろう。
 とりわけ、コメディアンのことは世間は忘れやすいものだし。

 その日から、ぼくはマスターがホッケー盤の名人である理由がわかったような気がした。家には誰もいなくて、内気なマスターが兄弟でひたすらホッケー盤をやっている姿が。
 二人で、ひたすら、ひたすら。
 カシャ、カシャ、カシャ、パキーン。

 いっときは浅草一の人気者だったシミキンは一気に人気を失い、あおるように酒を飲んだ。元女優、朝霧鏡子は、シミキンを支えるために働いていた。さっきの人は、その苦労したお母さんだ。そして、シミキンは失意のうちに死んだ。

 たぐいまれなマスターのやさしさは、そんな生活の中から生まれたのだ。そして、シミキンのコメディアンとしての抜群の運動神経は受け継がれ、孤独な時間とひとつになって、ホッケー盤の技術もつくたったんだ。
 マスターを見ると、やっぱりひたすらホッケー盤を向っているやさしい少年の姿が浮かんでならなかった。広い部屋、着物のお母さんが子どものために買ってあげたホッケー盤。子どもは、親と会話するようにもくもくとホッケーをする。
 
 マスターはインチメイトな性格だけど、このバーがずーと続けばいいと思っていた。着物を着たお母さんを幸せにして欲しいとも思っていた。けれど、あっさりバーは閉店した。
 閉店の1ヵ月前、ぼくがホッケーのパックをどこかに飛ばして失くしたせいもあるかと思ったけど(つまり縁起を悪くした)もちろんそんなことではないだろう。

 そう言えばマスターはあまり酒を飲まなかった。シミキンとは、そこだけはおおきく違っていた。

                ◯

 着物を着たお母さん、朝霧鏡子は、1995年に新藤兼人のたっての依頼で『午後の遺言状』に出演した。
 乙羽信子、杉村春子、朝霧鏡子という3人の老女優が出演し、乙羽の最後の人生を見送るという映画だ。
 実に45年ぶりに芸能界への復帰となり同年、山地ふみ子文化財団特別賞を受賞した。
 シミキン一家を支えた新宿のカレー店「ガンジー」は、その後も親類が続けているという。
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