◯2006年10月11日の日記再掲載(大幅加筆)
{昭和の落語家たち 2}
前座の林家ばん平が、すーっとやって来て座布団の横に何かを置いてぼくの方をちらっと見た。
「あいつはいつもぼくの方を見るけど、いつもとちがう。あれは、なんだ」と思ったら金時計だ。
「なんてキザなことよしなさいよ」
(腕時計をして古典落語をやって叱られた芸人がいたし、同じ腕時計にしても金時計はいささか粋じゃないよ)とまあ、ぼくは思うのだが、
そんなことはいさいかまわず、林家三平が飛び出してきた。
「いやあ、もお、すいません、三平です」
これが座るか座らないかのうちにドカーンだ。
古典好きのぼくとしては、三平に興味は持ったことはないのだけれど、この頭からドカーンにはおどろかされた。
「そーか、ばん平は、うちの師匠の威力を見てみろ」の目線なんだ、とぼくは気がついた。
「いえもお、ねぇ、出てくるだけで大変なんですから」
「駅でね、階段、落ちそうになっちゃって」
「駅員が、あーん、もお、落伍者なんて」
「あー、柳田さん、トイレですか。お待ちしてました」
「えー、三平です」
(なぜか。このトイレのギャグは柳田さんなんですね)
1分の小咄の連続で、そのたびにドカーンがくる。
楽屋から高座をのぞくのぞき口(障子の桟のスキマ)があって、次々と誰かがのぞいている。
「この世界には、化け物みたいなものがいるのです」
と、円生がにこにこしながら話しかけ、名人・文楽が大きくうなずいたという光景がいま楽屋で動いているのだ。
「あー、こちら、こちら、どうぞお席に」
「わたし、三平です」
「アラン・ドロンじゃありません」
「えー、もお、大変なんすから」
「もー暮れですよ、師走なんですから」
「わたしが走ったら、あんたはいいって」
もおこの変で、三平は、汗だくだくだ。
芸惜しみどころの騒ぎじゃない。高座の上に飛び散るほどだ。
「ヨシコさーん
こっち、向いて
なぜ〜逃げるのさ〜」
突然、歌い出す
「お客さん、あなたのことじゃありません」
「ヨシコさん、というのはわたしの話の中の人」
「いいですか」
「談志の選挙に行ってきたんです」
「一生懸命、応援して、三平です、よろしくって言ったら」
「台東区で50票はいったんですから、林家三平って」
「御存じ」という題で高座に乗る落語家が2人いる。
柳家三亀松とこの林家三平だ。高座に乗った、その時のアドリブで中味が決まる。で、「御存じ」としか題がつけようがない出し物なのだ。
そして、なぜかこの柳家三亀松はこよなく三平を愛した。
「正蔵さんのところのせがれのアレ、大丈夫かい」という噂に三亀松「おう、俺んときにつけてくれ」
三亀松の顔で、東宝名人会の前座につけた。実にこまめに動く。楽屋のきたない小机をかたずけ、扉を開け、ごみといっしょにさっと掃き出した。
ところが、東宝名人会が開かれる東宝演芸場はエレベータであがる4階、扉は非常口だった。小机はなんと道路にクシャクシャになっていた。
「正蔵さんのところのせがれ大丈夫かい」が余計にひろまった。
志ん生に話しを習いに行った。ところが志ん生があきれた。
「正蔵さんとこの息子、ありゃだめだ、話しがおぼえられねぇ」
名人志ん生が話をつけるんだが、右から左に忘れる。実は、「娘さんを嫁に」と密かに思っていた三平のおっかさんのネラは見事に外れた。(で、金馬のところにいた香葉子さんが嫁に来ることになる)
ま、ま、危ない人だとまで思われていたこの林家三平が、いま目の前でドカーンの連続だ。
おっと、ここで飛び道具、立ち上がって
「ヨシコさーん」を歌い出すのだが、なんと袴の片足に両方の足を入れている。
なんと空っぽの袴のスソをつかみ、ルンバを踊り出した。
大ドカーンだ。
三平はと言えば踊りながら、そのままに楽屋に引っ込んだ。
客席のざわざわが静まるまで、1分間近くかかった。そこそこ治まると、ばん平があらわれて金時計を下げていく。
「ばん平のやつ、上を向いて、やがんの」
とぼくは、冷静になりながら、その威力に驚嘆していた。
そして思った。
バカほど美しいものはない。そうなのだ。高座の上の、汗の数が教えてくれる。
2
柳家三亀松の古稀の祝いが池之端の料亭で開かれた。
売れに売れてる三平は一日中、食事の暇もないわけで、池之端に向かう途中で
「ラーメンを頼んどいて」
と電話を入れといた。ドタドタと走り込むと間が悪いことにラーメンも同時にやってきた。次の間でかき込むのが通りなのだが、入りが重なってラーメンと三平が一緒に座敷に届いちゃった。
三亀松、じろっと睨むと、(おう、三平、ずいぶん粋なことするじゃあないか)
「こいつぁ、薬味がいるわなあ」
自前の入れ歯をとるとやにわにラーメンでユスギはじめた。
「おう、三平、どうだ」
「はい、師匠、ありがとうございます」
うやうやしく手に取り、頭より上にかざすと
「ちゅっ」
わずかに口をつける、
「どうぞ、お流れでございます」
と次に回した。受けた隣の席の芸人があわてた。あわてたあまりごっくんと大きく飲み込んだ。下を向いて泣いていた、とされている。
これがハレンチ芸とまで言われた三平の、生涯最高の粋な芸とされている。
(ばん平は、大分後マジシャンに転向した。)
◯文中の林家三平は昭和の爆笑王とされた初代、林家三平。現、三平の父。初代、林家三平は先々代、林家正蔵の息子。
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