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2023年05月31日05:04

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「2001年宇宙の旅」が訴えるものはなにか、教えます。

「2001年宇宙の旅」を憧れる人たちは、2つの派にわかれます。
 技法派と主題派です。

 これは、ある種、人の意識の傾向というかこだわりの違いを表していて、実に面白い。あいつは理科系、おれ文化系というような、性質・性格の差。はたまたこだわりの違いですね。どちらがエライと言うのではなく「ずいぶん違うふた組があるものだ」とツクヅク感心したりします。

 まずひとつは、撮影技法に思い入れをかける人たち。
「あのはじめの方のボールペンが浮いているシーン、どうやって撮影したのか」
「宇宙船の中でウオーキングをするカット、合成か、実写か、どうもわからない」
「ディスカバリー号が暴走するカット、一部、光の方向が2次元になっているがあれは失敗なのか」
CGなどない60年代に、きわめてアナログな手法で撮影されたいわば撮影班の超絶技巧でできた映像、それを解き明かそうと議論と研究を繰り返す人たちですね。これが研究書になったりし、いままでに何冊もの本が生まれています。現在では、ほぼすべてのカットが解明されて、再現映像ができたりしています。

 もうひとつは、主題派。
「この映画は何を言いたいのか、それを話し合おうじゃないか」と構えるのですが、これがうまく集約しない。それは、この映画はほぼ説明要素全カットのため、話を辿る方向がいくつも生まれ、見た人の数だけ視点があるというような状態で(繰り返しになりますが)集約しないのです。
 で、決まってさまざまな捉え方が生まれます、というような解説に終始します。

 いちばんヒドイのは技法派と主題派が混在して、おおよそ噛み合わない議論が延々続いたりします。

 でも、まあ、どんな時も共通して残るのは次の二つでしようかね。
「モノリスはなんなのか」
「胎児はなんの意味か」

 ボクなんかは主題を追わずしてなんの意味があるのだ、と思っちゃいます。いつも撮影技法の話が始まるとイライラします。
「お前ねぇ、撮り方わかったって、なんの勉強にもならねぇだろ」と思うわけですが、「それはそれで勉強になるのかなあ」と思う時も(多くはないが)あります。
 面倒なんで、では、ゴツンと結論をいいます。「2001年宇宙の旅」は、人は「絶対理性」を獲得できるかを描いた映画です。

 ヒトザルは(モノリスから与えられた)理性を発達させることで進化していきます。宇宙時代に入り、高いレベルの理性的生物となったと思われるのだが、HALを殺そうとしたところから理性はホコロビを見せます。
 HALとのトラブルから宇宙船は暴走をはじめ速度を上げ、さらに速度を上げタイムマシーンの領域に達します。船長は時の空間をさまよう永遠の生命になります。時間の壁を乗り越えた宇宙船は、理性的生物になりきれない人間のところに帰ってきます。
 それは完全な理性として無機物となったモノリスであり、そして生体を持たない胎児でもある、永遠の生命を持った未来の人間として、ただ静かに現在の人間を見守ります。

 作者は、人が理性を獲得することで、人になにを望んでいるでしょうか。それは戦争をしない生き物になってください、と言っているのです。それはとても難しいことだとも、この映画の映像で語っています。だから祈るように浮かぶ胎児がいるのです。

 つまり「2001年宇宙の旅」は、戦争反対を最終テーマにした映画です。

 カントが提唱した(あえて絶対とします)「絶対理性」をこの戦争反対の核にすることで全人類のテーマにまで押し上げています。
(あのー、上手く説明していると思うので、ぜひ鑑賞の時、思い出してください)
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