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2023年05月18日01:04

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「侍の子が切腹できるか」

◯2006年11月06日の日記再掲載 
戦前からの東京のやくざの姿が活写されています。なにひとつ脚色のないありのままの姿です。場所は環6の難工事が行われた大橋。それも、中西ジュリーさんの事務所のぴったり真下あたり、訪問した時に世の中の縁におどろきました。長生きすると、何もかもがゾロゾロと繋がってきます。林家正蔵の「ゾロゾロ」がにわかに近しいものになります。



 渋谷から半道 (はんみち)、戦後すぐの大橋。そこから中目黒に向かう一帯は(元は沼地だったらしいが)、あたりをうめ尽くすようにたくさんの家が立ち並び、下町風の街並になっていました。

 そこに、「俺ら、侍の子だい」が決まり文句の椎名にウチの父親が家を買い与えた。
 椎名とは、細身の顔にきっちりつめた角刈り、キリのいいクチ振りからもいかにも兄ぃ然とした男とわかります。

 つまりはこの男に、
「さあ、ここで一家を張って、稼業を続けなよ」
という目算なのだが、これが半年たっても1年たってもいい噂が届いいてこない。

 それどころか、ガラガラで、場がもたないというのだ。

 なにが悪いのかと言えば、それは「侍の子」という一本気な了見らしい。こすい客がいればやにわに張り倒す。一方づいた客がいれば、「おぅ、こっちで見るよ」とすぐ受けてたつ。
 いつまでたっても、一本どっこの気っ風が抜けないのだ。

 これじゃあ親方の仕事というより、旗本奴の心意気。本人はすっかりいい気持ちでいるのだろうが、客はなんだかバカバカしくなります。
 ひとり減り、ふたり減りしてやがて場が立たなくなる。

 それで、毎日、昼の日中、1升瓶枕で寝ているという。

 仕方なく父親は、1升瓶枕を叩き起し、顔を見交わす。なにを話すでもなく、ぼそぼそと言葉を交わす。

「椎名よ、客は遊びに来るんで、お前を遊ばせにやって来るんじゃないよ、そこんとこわかんねぇか」
「けれど兄貴よ、俺ら侍の子だから、客の機嫌をとったりがうまくできねぇんだ」
 実際は、この半分にも満たない言葉のやりとりなのだが、中味をわかりやすくするために言葉を足せば、ほぼこうなる。

 というわけで、週に1度は家にやって来て、父親に頭を下げる。
「兄貴、お願いします」
 目の前に出された1升瓶から茶わんに酒を注ぎ、グビグビと飲み干すと、そのまま夕方まで寝ている。やはり1升瓶枕だ。(ぼくなぞは部屋の隅の暗がりで寝ているところにでっ食わし、随分、ビックリしたものだ)
 目をさますと
「おい、椎名」と当座の金を手渡す。
「すいません」と頭を下げて帰る。

 ここで頭を下げると書いたが、椎名という人、すぐ誰にも頭を下げるなんて器用な人ではない。(ウチの父親以外)ほとんど頭を下げるなんてしたことはない。頭を下げるくらいなら、張り倒すと本気で思っていたらしい。
 ちょっとしたモメ事があると、
「兄さん、表で話しをしよう」
と声をかけ、あっと言う間もなくかたずけてしまう。渋谷では有名な侍(サムライ)なのだ。

 バクチも決してうまくない。向こうぶちばかりで、気っ風のよさだけが目立つバクチ。一時よくとも長い時間は続かない。
 こんな男っぷりだから
「椎名、椎名」と父親は可愛がるのだが、うまくいかない。いい若い者だが、いい兄いになれない、男なのだ。

 こうして大橋と渋谷を行ったり来たりしているうちに、1升瓶枕の冷酒の飲み過ぎか、血を吐いた。
「洗面器だー、洗面器」
 まわりのものが差し出したアルミの洗面器になみなみ一杯の血だったという。大橋の医者の見立てでは、胃潰瘍の診断で早急に手術の必要がある、とされたのだが本人はガンとして首をたてにふらない。

「侍の子が切腹できるか」の一点張りだった。
 本人とにかくこのセリフが心底気に入った。まるで絵に描いたような自分のセリフだと思ったらしい。
「どんなに強くても、病気にゃ勝てないよ」
と言ったところで、どこ吹く風まったく医者に行かない。
 
 そこから半年たち、1年たち、2年たち、ほぼ4年位は過ぎた頃だろうか、胃病ではなく脳溢血であっさり亡くなった。いつものように1升瓶枕で、ゴーゴーと高いびき。そのまま、目をさまなかったという。

 侍の子は、思い通り切腹せずにすんだ。
 残ったのは、あきれるほどの貧乏。全部をカタヅケた父親には、濃い紺色のトンビが形見として手渡された。さほど上等とは思えないものなのだが、父親は昭和の大分後まで大事そうに着ていました。

注1:一本どっこ 看板なし義理なし、いわば一匹狼のやくざ。
注2:向こうぶち いま受かっている人の反対に回ること。江戸前ではあるが損をしやすい。
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