◯2008年1月13日のコメント再掲載:ジャズマンと薬についての分析がよく書けていると思うので再掲載しました。「ラウンド・ミッドナイト 2」と考えてください。頭に「きみ」とあるのは松ちゃんのことで、彼との相談の声からはじまります。
おぼえていてくれて、ホントにホントにありがとう。
20年もたつかなあ。昨日のようだけどね。
ラウンド・アバウト・ミッドナイト、モンクの曲のタイトルなんだけどきみの記憶の方が正しいのかもしれない。
バド・パウエルは、なぜ薬に走ったのか。
そうなんだ、ぼくがなんども言いたいのは表現の中での完全な自由のことなんだ。こいつほどちょっと手強いものはないわけで、ビーバップ以来の当時のジャズマンほど自由の恐怖にさらされていた人たちはいないのじゃないかな。
経験がほぼすべての人生の彼たちが常に経験を超えていくことを要求される。引き出しがどんどんからっぽになっていく。からっぽになる恐怖感さ。
あのマイルスだって、最後の復活の前にはクスリにおぼれてぼろ雑巾のようになっていた。それを見つけだし、病院に運ぶことから復活はじまったそうだ。
注:映画にも出ていたけど「ウォーターメロンマン」のハービー・ハンコック、
彼がはじめて黒人でいながらあらかじめスコアをつくり
演奏するジャズをはじめたのではないのかな。
消耗から再生産できるジャズマンはこうしてはじまった、とさ。
才気の疲弊または無尽蔵化、そいつを補うのはどうしたらよいか。それをぼくは当時考えていたね。頭というカラダで表現するレベルにもっていくしかない、と頭(理屈)で文章を書くのではない。カラダ(反射)で書く文章。ダンスに近いものにならないか、なんて考えていたね。頭が踊っちゃう状態、ダンシング・ブレインだね。
で、その最前線が暗黒舞踊でね、ぼくら世代はそんなことを込めて暗黒に興味を深々していたね。
整理整頓して書く、なんてのをやめてみた。オリエンシートを食べちゃう感じ。お馬鹿な学生が辞書を食べちゃうようにね。(徒労だよね、男はとことん徒労が好きな生き物さ)
あー、こんな話しをしてもしょうがないか。デクスター・ゴードンのようなやさしさを持つ男になれなかったてことか。
あれもね、女房、子どもを裏切りクスリに走り、その最果てでやっとめざめるんだ。自分を愛してばかりの人生のむなしさに。だからね、そっと教えるよ。ラストに娘が会いにくる、それがあの映画の答えになっているんだよ。
おいらなんか生半可だから、カラダにというか(やさしさに)泣きが入っていないんだろうな。
あまりに長いんで、このへんで。
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