◯2008年1月13日の日記、再掲載
銀座から築地に近いバーだった。名前はおぼえていない。
ママとカウンターをはさんでテーブルが三つくらいの小さな店だった。ドアを開けて左側、カウンターとの間にドラムセットが置いてあった。
「へー、どうしてドラムなの」
「叩きたがる人がいるから」
ママの答えはかんたんだった。
店にはジャズが流れていた。大体、様子が読めてきた。
このドラムは「ジャズのためにある」と。
いっしょにいた男が、ふらふらっとドラムセットに近づき、流れているレコードに合わせ小さな音でドラムを叩きはじめた。なかなかさまになっている。
「そのスティックは、昨日、あの人が使ったばかりよ」
ママは来日中の黒人ジャズマンの名前をあげた。
「へー、そうなの」
いっしょにいた男はそのジャズマンをよく知っているらしくスティックをうれしそうにさすっていた。
ぼくは、ドラムが置いてあるミニステージに近づき、壁に立ちかけてあったウッドベースを抱えた。レコードの半分くらいのテンポで、弾きはじめた。というとかっこよいがベースのような低音は適当でもテンポさえまちがえなければなんとか、かっこはつくものなのだ。
いっしょにいた男はスネアにもちかえた。シャシャ、ボボンボン。どうにかさまになっている、と思う。
バックの曲はモンクの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」に変わった。夜のため息のようなスキャットが先行する曲だ。
スキャットが3フレーズ位流れ、泣声のような声になったところで、いっしょにいた男はスネアを振った。いいタイミングで曲に乗った。ぼくは追い掛けるようにベースを弾いた。(と、言っても音アタマに単音をいれる程度のことだ。誰でもできる)
どうにか、こうにかワンコーラスをこなし二人とも力尽き、にやりと笑った。
モンクの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」をテーマ曲にした映画「ラウンド・ミッドナイト」は、ぼくのいちばん好きな映画のひとつだ。不器用な男のやさしさをこれほど美しく見せてくれる映画はない、と思っている。
薬におぼれた老ジャズマンは、自分を助けてくれた青年の子どもに礼を言いたいのだがどうにも言い方がわからない。やっと言えたのは、
「俺も、バスケットボールが好きだ」
これだけだった。老ジャズマンの散歩(言わば薬抜きの散歩)に毎日、付き合う男の子はいつもバスケットボールを抱えていたからだ。
その夜は、「ラウンド・ミッドナイト」がずっと響いていた。ママにその「ラウンド・ミッドナイト」の話しをしようと思ったのだがやめた。
気持ちよくカラダの芯で聴こえている音楽が聴こえなくなりそうだったからだし、「それじゃあ、下世話であんまり品がねぇなあ」と思ったからだ。
いっしょにいた男は桶胴(おけどう)という不思議な和の打楽器を趣味にしている男で、あれからもう何年もあっていない。
あー、そうだ、映画の中で老ジャズマンが子供に声をかけるあの言葉、あの言葉をぜひともぼくの訳で字幕に入れさせてくれないか、そいつは
「坊や、俺は、君が大好きだよ」
確かそんな言葉だった、と思う。
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