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2023年05月05日18:03

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退職しました。

 メンタル関係で体調を崩す前に、還暦を迎えたタイミングで三十年勤めた会社を退職した(ぼくは何度か転職している)。このタイミングで退職することは一年近く前から考えていたし妻にも告げていたので、まあ予定どおりだったわけだ。
 退職の意思を会社に伝えたのは四カ月前の昨年末のことだった。上司に自分の意思を伝えて気持ちがすっきりしたせいか、それから二カ月ほどは時間が経つのが早く、あっという間に過ぎていった。月曜日に週が明け、気がつけば木曜日の夜という感じだった。
 しかしそこからの二カ月間はひどかった。どの業務を誰に引き継ぐかという基本的な問題を会社側が示してくれないせいで、引き継ぎの説明ができず一人で悶々とした気分で過ごした。結局、そのせいで普段の業務を退職する前日まで続けることになった。
 しかしもう、そういうことから解放された。地獄へ落とされるメールも来ないし、パワハラとも思える強引な仕事の押し付けもない。精神衛生上非常によろしく、空が青く見える。
 
 この三十年、入社したときから退職の日まで、大手町・丸の内界隈でビルの建て替え工事が終わることはなかった。主なものとしては、丸ビルと新丸ビルが立て替えられ、郵便局がKITTEになった。JTB本社ビルと丸の内ホテルが取り壊され、跡地にオアゾができた(オアゾの中に新しい丸の内ホテルもできたが)。東京駅のすぐ横にあった国際観光ホテルと大丸デパートが取り壊され、大丸東京としてリニューアルオープンした。パレスホテルが新しくなり、逓信総合博物館が大手町プレイスに変わった。そして今現在もこの地域の工事は続いている。三十年経ってもこの状態である。すべてが終わったときには、また最初から順番に立て替えなければならないのではないかと心配してしまうほどだ。
 昼休みぐらいそうした喧騒から逃げようとしたわけではないのだが、昼休みの一時間を使って、ぼくは電車を使ってけっこうあちこちに行った。すべては思い出せないが、一番多いのは何といっても本郷三丁目。文京区図書館があったからだ。何百回行ったか分からないこの図書館には本当にお世話になった。ネット予約した本を受け取りに図書館に向かうということなら、他にも東陽町や茅場町にも行った。ぼくは図書館オタクなのだ。お歳暮とお中元の時期には門前仲町の漬物屋で手続きし(ということは三十年で六十回行った計算になる)、レストラン「十勝」でランチを食べたくて日本橋に行き、C&Cカレー食べたさに西葛西まで赴くことも何度もあった。レンタルビデオを返却するために渋谷や恵比寿に行ったこともあるし、初めてパソコンを買うときには末広町に下見に行ったこともある。どこに行くにも、例外なく電車のダイヤが乱れないかとドキドキしていた。もしダイヤが乱れたときにはタクシーを使う覚悟もあり、必ず一万円札を財布に入れていた(結局タクシーを使うことはなかった)。
 昼休みではなく、朝活のために訪れていた「グランド・セントラル」には言葉では言い尽くせないほど感謝している。ざっと五五〇〇回ぐらい通った。朝はいつも空いていて、スターバックスやドトールとは比べ物にならない六人掛けの大きなテーブルを毎朝一時間半近く独占した。最初の数年はすべて読書に充てていたが、一九九八年に自分がパソコンを買ってからは半分の時間を短編小説の執筆に費やすようになった。ぼくは文字が非常に汚く、原稿用紙に万年筆で書いた生原稿を送るのは気が引けていた。それが、応募用に清書するときにワードを使えるようになったのでこの時期からどんどん書くようになった。そして二〇一四年にIpadを使えるようになってからは、堰を切ったように映画を見まくるようになった。それからの朝活のパターンは、ペン字練習を二十分ほどしたあとはすべて映画鑑賞に充てるようになった。もう読書は電車の中だけで、執筆は大幅にペースダウンした。
 ぼくは毎朝同じ席に座っていた。それがスタッフだけでなく、ほかの常連客にも浸透していたのかもしれない。何度か電車のダイヤが乱れて十分か二十分ほど遅く入店することがあった。そんなときでも“ぼくの席”がいつも空いていた。
 子供のころ、ぼくは定期券へのあこがれが強かった。駅員さんに定期券を見せるだけで(当時は自動改札などというものはなかった)改札口を何回でも通過できることがなんとも自由に感じられたのだ。
 電車通学でもしないかぎり、電車に乗るというのは目的地までの切符をその都度購入しなければならない。つまり乗車は一回だけだ。それが、定期券さえあれば何度でも乗車でき、圏内であれば途中で降りることもできる。こんなに自由なことはなかった。内ポケットからパスケースを取り出し、駅員さんに定期を見せて改札口を抜けていくというのがなんともかっこよかった。だから高校生になって定期券を使えるようになったときは自由を手に入れた気分になれた。
 つまり十六歳からずっと定期券を使う生活を続けてきたわけだが、ついにその生活にも終止符が打たれることになった。
 今後まったく働かないわけではない。経済的にそれは無理だ。だが今年いっぱいは失業手当をもらってゆっくり過ごそうと思う。そして風前の灯となってしまっている執筆活動をペースアップしていくつもりだ。消えかかっている炭に団扇でパタパタと風を送って再び炎を復活させるように。

(写真は退職日の朝、後楽園駅から大手町まで散歩したとき、神保町にあったモニュメント)
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