だいぶ前、まだ母親が生きていた時の話です。
「もうダラシがなくてしょうがないんだから」
とか言いながら、うちの母親は、よーく下の言葉を口にしていました。生活に締まりのない女性(ひと)、たとえば午前中ずっと寝ている奥さん、何かとダラシのない奥さんなどを、ま、この言葉を言いギュッと意見をします。
「ヒガミをゆうような女じゃいけません」とね。
パッと読んで、この1行をどう理解しますか。
ぼくは小さい頃から聞いているので何の疑問もなかったのですが、これが意外な難問だったとは、まるで知らなかったのです。
「この前、徹子の部屋で、沢村貞子が言ってたんだけど。ヒガミをゆうような女じゃいけません、とね。あれどういう意味、わかる」
ぼくの隣の席の大先輩が、ぼくに聞くのです。大先輩は粋なライターとして仲間内ではよく知られている人ですが、なにせ愛媛生まれなんで、これは無理。
はい、はい、こういう時はぼくの解説です。
「ヒガミをゆうような女、これ僻(ひが)みを言う女の意味じゃありません」
「僻(ひが)みばっかり言う女はダメだよ、ではないのです」
「え、え、えっ」
「ヒガミとは日髪、毎日、髪結さんで髪を結う(ゆう)ことです」
「日髪を結うような女じゃいけません、ということです」
毎日、髪結さん(美容院ですよね)に行ってたら堅気の所帯は持ちません、というきつい小言なんです。「所帯をを持ったら自分で髪をひっつめにして生きて行きなさい」という東京の、女の教えです。心意気ともいえます。
ここまで書くといくらか面白いでしょう。
後学ですが、これは吉原(なか)の芸者さんで、芸者を揚がり所帯を持った女性(ひと)にさとしたのが始まりだそう。
浅草猿若町の清元のお師匠さんの家に生まれた沢村さんなら、言わば日常語なのかなあ。この言葉「徹子の部屋」での沢村さんの発言で、「江戸言葉」のさすがの見本としてかなり有名になりました。でも、冒頭に書いたように、当時でも一部で生きていて、うちの母親もずっと使っておりました、という話です。
「まったくお引き摺りなんだから」なんてのもありました。
裾(すそ)を引きずってズルズル歩く、「なんてダラシない女だね」とけなす江戸言葉。ズルズル、その様子から浅草辺りの女乞食を思い出す人も多いと思います。実際、江戸時代からずっと、浅草には女乞食は多かった。でも、違います。
吉原(なか)の太夫は裾に綿の入ったうちかけを引き摺りながら歩きます。その姿をたとえたというのが、ほぼ正解かな。
で、ここまできたのだから、「江戸言葉」の最大のテーマにひとつに挑みます。ついで、ですから。
そいつは「小股の切れ上がった女」という有名な言葉。「小股」とはどこなのか、たくさんの人があれやこれや、やり合うも答えがいまだ確定しない。何冊も本に登場します。
これ「お引き摺り」という言葉と対比するとひとつ答えが見えてきます。
「お引き摺り」は、着物を引き摺っているので足元はまるで見えない。
「小股の切れ上がった女」は、反対に短目に着物を着て、駒下駄を履いてサッサと歩きます。着物を短目に着るのは、江戸では仕事のある女性の着こなしで、町場の女の粋な姿とされています。
さーて、ここで、ひとつ答えがでます。「お引き摺り」と「小股の切れ上がった女」、どこがどう違うのでしょうか。そう、足首が出ています。働く女のキュッとした足首、ここですね、そいつが小股の答えというのはいかがでしょうか。
はい、こんなん、出ました。(古いギャグです)
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