ぼくの落語論6
えー、物事のキッカケとは、なかなかわからないという話です。
特に、これが、人気となるとますますわからない。人気とは、人の気ですからね、風で動く、陽気で動く、言っちゃあ悪いがときどき金で動く、こともある。
昨日まで人気だったものが、どうもすっかり下火になる。ところがどうにも目だないものが、ふとしたキッカケで人気者になる。
芸人の世界では、こうしたことがままある。このあっと言う間に芸が変わって人気者になる、これを落語の世界では化(ば)けると言いますね。
「化けたねぇ、あの噺家、ヘボが吹っ飛んで名人になっちゃった」
など町内の話の種になるわけです。
どーも前振りが長くなりまして、昭和の名人、三遊亭圓生のお話です。
ま、大名人でありまして、噺の数・質、調子、様子、どこから見ても欠点のない名人でした。えー、まあ、わたくしもゆくゆくはこの人が名人と贔屓にさせてもらいました。小学生ですけど。
「小学生、うーん、どうもこのけしからんという」
師匠、お構いなく、お構いなく。
どうも末広の最前列に毎度、座るぼくをけしからんと思ってたらしく、ぼくがいると親孝行とか小言の噺ばかり。もしかしたら意見をしているつもりなのかと思ってましたね。
「ダメだよ、あーた、おっかさんが心配するだろう」なんてのを頭の上でやるんだから。
圓生師、わかいうちは実のところ地味で面白みのない、噺家だったとされています。人気も、ま、あまりでありまして。文楽がつけたあだ名が『中国の留学生」。この言葉がなかなか当時の様子を伝えてくれます。
少し説明をします。呉清源という碁打ちがいましてね。(戦前に)中国から来た、わかき天才だ。けれど詰襟姿で青白い神経質そうな顔。記者がたずねた。
「呉先生、碁が強くなるとはどんなものなのでしょうか」
この質問に呉先生、じーと考えた。10分程考えて、ひと言「技術です」。確かだが、どうにも面白みとは反対の世界の人ですね。文楽師、皮肉にもこの方のことを承知であだ名にした。
圓生は満州から帰ってきてオモシロくなった。これが定説となっているのだが「いいや、違うね」がぼくの説。
「圓生はね、謡(うた)を入れることで良くなったのさ」
謡(うた)、わかりやすく歌でいいかな。落語の世界では歌は噺の中にたくさん出てくるし、謡調子(うたいちょうし)という言葉もあるくらい。
「明石、ちょいとでりゃよ〜お、良いとこ岬、さいさい、さい」、野晒しの才才節。
「オンガ〜ボギャアノ、ギャアスロべ」お経だけどこれも歌、小言幸兵衛。
圓生は子供義太夫の出身で豊竹豆仮名太夫、胸を患って噺家になった。歌うのはお手のもの、というより小さい頃から身についた芸。ひょいと歌が入って、噺が明るくなった、軽くなった。
「どうも、ここんとこの圓生はいいねぇ」
ウケが良いから自信もついた。そうして、すべてがいい方向に回りはじめた。というのがぼくの説。
「うちお父さんの噺で何がいちばんだと思う」
「包丁、そうだね、あたしもね包丁がいちばんだと思うのよ。うれしいねぇ」
圓生師のカミさん、はなさんと弟子の円楽とのやり取りです。
その「包丁」ですが枕のところを少し、(答えが出ます)
「えー、まあ、この音曲噺というものございまして、中で歌などが出てくるという」本人の言葉です。
(これ古い話でほとんどの人に興味はないところでしょうが、わたしの趣味でしてできたらあきれずに一読を)
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