「あんたたちはどこから来たの。どうして私たちの国でヒドイことするのさ。早く自分の国にお帰りよ。あんたはここにいたらきっと死ぬし、私たちにも、あんたにも、何もいいことがないんだから。さあ、早く」
思いっ切り手を振る、両手で押し出すように。
去年の4月頃、まだ寒さの残る街外れの道で兵士に、女性が叫んでいる。そうね兵士たちの母親よりまだ上かな、髪は白く、兵士の持つ銃に真向かいの位置で叫んでいた。
「あんたねぇ、そのポケット、そのポケットにはヒマワリの種を入れておくんだよ。そうしたら、あんたが死んだらその場所に花が咲くから」
そこまで言うと、女性は、「言うべきことは言ったのだから」とまだまだ解けない怒りを抱えながらもゆっくりと帰って行った。
少しオールド・ファッションのスカーフが揺れながら遠去かっていく。
さて、ここまででぼくはハッとした。これはどこかで見たことがある。いや聞いたことがある。
死んだ兵士の墓から、一本の花がさく。イタズラなのか偶然なのか、ポケットに入っていた種が命を伸ばし花が咲く。日の高い村外れの丘。若い女性が墓に近付き、その花を摘んでいく。
野に咲く花は どこへ行く
野に咲く花は 乙女の胸に
「花はどこへ行ったの」の歌詞、そのままがドキュメント映像として流れているのだ。ぼくらの世代なら思わず歌い出したくなるような情景。
実は反戦歌「花はどこに行ったの」は、ショーロホフの「静かなるドン」という小説中の一節から生まれている。ロシア革命の最中、赤軍と白軍という近しい人同士の戦い。権力に追い立てられて戦場に向かった、いわば農奴に近い人々の死。
「花はどこに行ったの」は、そこから生まれている。
それをピート・シーガーが歌にしたのだ。これは、CBSのドキュメント番組が長い時間をかけ明らかにした。30年くらいまえのことかな。大きな反響を呼び、いくつもの賞を撮った番組だ。
さて小さな検証をしてみよう。では、「花はどこへ行ったの」の墓はどこにあったのだろうか。ウクライナ、ドネツク州または隣のドン州ではないかとされている。
そうして兵士は、ウクライナ人と考えていいのではないかとされる。
そうだね、お母さん、あの詩はきっとあの地域でずっと伝わるものなんだね。ぼくは、うなずく。
「ポケットにはヒマワリの種を入れておくんだよ。あんたが死んだらその場所に花が咲くから」
野に咲く花は どこへ行く
野に咲く花は 兵士の腕に
ああ時は流れていくよ
たくさんのことを学んだはずなのに
けれど何も変わらないのか。スカーフのお母さんは怒っている。
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