重陽
早く咲け 九日も近し 菊の花(芭蕉)
酒を飲む人 花ならつぼみ 今日もサケサケ、明日もサケ(都都逸)
知らなくば 明日も変わらぬ 今日の月(川オス)
栗ご飯を作るの面倒だからと〈甘栗むいちゃいました〉のまぶしご飯
あま〜い
《USA9》Continuing.
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983197231&owner_id=8666179
バースデーを切っ掛けに増えた蔵書の一冊
センスが光る。
ページを開いたのは帰国後のこと。もったいなくて、もったいなくて。
夢の果て《落水荘》を後ろ髪曳かれる思いであとにする。
3時間の滞在だった。
距離にしてわずか3マイル。時間にして15分。ワイパーを動かすこと1回。
《Kentuck Knob》
落水荘1935年、グッゲンハイム1943年、そしてケンタックノブ1954年。
ピッツバーグの滞在時間も限られていたため、ここはシンプルなガイドツアーをお願いし、10人程度の外人さんとともにビジターハウスからマイクロバスで運ばれる
TOEIC400点のおいらのヒアリングによると、
「オーナーのハーガンさん、落水荘のカウフマンさんちに毎日、牛乳を運んでいた。落水荘に行くたびに、その建物に憧れて、ついにハーガンさん、大枚はたいてこの地を買い、ライト先生に三拝九拝して建築を依頼する。
ハーガンさんの熱意に根負けしたライト先生。それならと建築を請け負ったが、当初の契約6万ドルは、いよいよ膨れ上がり10万ドルに近い請求となった。これは、ライト先生の日常茶飯事。帝国ホテルもこんな感じでオーナーとケンカして、這う這うの体で帰国したのだから…」
だいぶ、想像が入っているが、大きくは間違ってはいない。そもそも、ハーガンさんは牛乳配達員ではなくて、酪農を大きく手掛けるビジネスマンだったのだから。
「ハーガンさんは、その後、アイスクリームを手掛け《ハーゲンダッツ》として売り出して世界的に成功した」と言ったかどうか。(たぶん、言っていない)
ところがアイス好きなおいらには、そのように聞こえてしまい、ビジターセンターで売っていたチョコミントに舌鼓を打ったのはあまり知られていない
ガイドで間違いがなかったのは、家具の説明の時に〈ジョージ・ナカシマ〉の固有名詞が出てきたこと。
高松を訪れた時に、せっかく先生が推奨してくれていたジョージ・ナカシマの家具屋をスルーして、誰からも推奨されていない初代デジタル相・平井へなちょこ議員の私設美術館に行ってしまったトラウマを、ピッツバーグでも思い出されることになる。
ここ《ケンタックノブ》も、男木島で談議した坂茂先生レコメンドの場所。
「落水荘から近いケンタックノブには行くの?」
「はい!予約しています
」
「あそこのオーナーの知人と友人でね、ケンタックノブに泊めてもらったことがあるよ。屋外の彫刻展示も良かったよ
」
「知人の友人も御紹介してください!」
「……」
これは失敗。調子に乗りすぎだ。
ライト先生の作品集をあらためて読み深めると、坂先生が語っていた合衆国内の物件がいくつも現れた。これをウイッシュリストに入れるわけにもいかないけど、機会があれば訪ねたい。どうやら、円安は145円ピークアウトの様相だし。
40分のツアーと自由見学。そして忘れていたランチタイム
2時間を経て、13時40分。トヨタに乗って空港へ向かおう。
スーパーナビは渋滞を避けて、100分後の到着を指示してくれた。
TOLL ROAD とFREEWAYを駆使して、エアポートまでノンストップの快適ドライブ。
左ハンドルに馴れたところでレンタカーの返却となる。
ワイパーは都合、9回動かした。罰ゲームの10回までのは届かず、どうには剃髪は免れた。なので、もはや長髪おやじ。
17時01分、オンタイムにテイクオフしたデルタ5431便は、わずか80分でJFKの滑走路にランディング。早くつきすぎて20分、滑走路内で待機を余儀なくされていたけれど、ゲート退出は時刻表通り。
JFKそばのモーテルに宿を取っていたけれど、近すぎてイエローキャブから3台の乗車拒否。初めてのUberが役立った。珍しく、川オス、チップをはずむの巻。(←1ドル)
夢のようなアメリカ大大大 tripenart
3日目の夜が更けてゆく。
(to be con…)
■企業の「脱首都圏」、昨年は最多351社 コロナ禍、本社機能に変化
(朝日新聞デジタル - 09月09日 14:33)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=7104752
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