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2022年04月07日15:52

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国家と教会の在り方

キリスト教において,教会と国家の関係を規定している箇所は,ローマの信徒への手紙,13章1-7節。

1) 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。 2) したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。3)支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。4)それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。5) ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。 6 )同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。7) あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。

この箇所は,教派により,解釈が分かれています。共通しているのは,聖(信仰)と俗(政治,国家)を,程度の差はあれ,分離していること。

最近になって,再び,ルターの「二王国説--教会は神の右の手で、国家は神の左の手である」に興味が出てきました。日本のマスゴミでは絶対に報道されませんが,ウクライナでモスクワ総主教に属する協会及び信徒が,ウクライナ政府によって弾圧されているからです。この弾圧はなぜ発生したのか疑問でした。これを,詳しい方(日本では稀な正教徒)に質問したところ

正教会は聖書にある「神に拠らない権力」はないという言葉に忠実です。正教は教会が「心」政治が「体」という国家観です。スターリンもこれを利用して正教を禁止はせず、愛国心、国防の意識高揚に活用しました。ウ右派にとって、モスクワ総主教庁に属する教会の信徒は、ウクライナ在住の敵国の国民と見なされるのだと思います。

という回答を受けました。ルターの「二王国説-」と何か発想はよく似ているような気がします。ここを突き詰めれば,両方ともよく理解できそうです。

日本の評論家の先生方は,ローマの信徒への手紙13章の存在すら知っているか,疑問です。ましてや,ルターの「二王国説--教会は神の右の手で、国家は神の左の手である」ですらご存じない。それなに,随分といい加減なことを言っています。講釈師のほうがまし。

私も,ルターの「二王国説-」は,消化不良。ですから,”正教は教会が「心」政治が「体」という国家観です”ということが,分かっていない”ということがよくわかります


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