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2022年01月26日23:58

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雑誌之雑談帖(その15)―時刻表復刻版1967年10月号

さて先達てからJTBは、1964年9月号(東海道新幹線開通直前)、同年10月号(東海道新幹線開通)、1968年10月号(所謂ヨン・サン・トオダイヤ全面改正)、1988年3月号(青函トンネル開通)と復刻版を出してきました(Kindle版では他の号も出ている様ですが、わたくしは時代錯誤のアナログ人間なので、紙ベースで発売されたもののみ取り上げて居ります)。
このうち1988年3月号は、わたくしの中では近過去(と言っても実際は34年も前、なのですが)なので未だ手を出して居りませんが、残り3冊は半世紀以上前という事で、狂喜乱舞しながら(大袈裟)購入して来て、日々あっちこっちの頁を眺めて居ります。

只、わたくしとしましては此処まで揃うと、出来ればもう一冊、昭和39年10月から昭和43年10月(先ほど言及したヨン・サン・トウ)までの間の時刻表の復刻版が欲しい所。と申しますのは、わたくしが時刻表を読み耽る様になったのが昭和42年の春休み、初めて父方の祖母が済んでいた姫路へ出掛ける事となり、親が時刻表を買って来てからの事なのでありまして。
その頃は新幹線は新大阪迄、そこから姫路迄は山陽本線の特急(東海道新幹線開業前、東海道線を行き来していたこだま型特急電車)に乗ったのでした。確か行きは『ゆうなぎ』号、帰りは『しおじ』であったか、と思います。
またこの時期ですと、東北本線では奥中山・御堂間では貨物列車をD51型蒸気機関車三重連が牽引し、ブルートレインの『はくつる』は盛岡・青森間をC60型・C61型蒸気機関車重連が牽引、常磐線経由の『ゆうづる』は、仙台・平(今はいわき)間をC62型蒸気機関車が牽引していて人気が高かったのですが、この改正で電化。呉線にはC59型・C62型が、長崎本線・鹿児島本線の熊本以南はC60型・C61型が活躍していた時代。その頃のダイヤはどうなっていたのか、当時の時刻表で確かめてみたいと思わないではいられなかったのですが、まあ早々復刻版が出る事もないだろうしなあ、と思っておりました。

ところが驚いた事に、今日会社の帰りに本屋をのぞいてみますと、昭和42年10月号の時刻表復刻版が発売されているではありませんか。おお、なんという魂の喜び(大袈裟その2)。すかさず購入してきました。

この号から、時刻表は今日のB5サイズになりまして、またこのダイヤ改正から世界初の寝台電車581系(当時は月光型、とも呼ばれていましたが)が走り始めたのでありました(表紙を飾って居りますね)。ううむ、懐かしい。この頃は東海道新幹線『ひかり』「こだま」とも12両編成、九州行寝台特急も20系客車の時代。昭和50年代までには絶滅した、同じく九州行き寝台急行列車も健在でありまして、それを時刻表で確認できるのは堪らない所、でありますね。またぞろ復刻版時刻表にかじりついて、あれこれ物思い(或いは妄想)に耽る日々が続きそうです。バンザイ。
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