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2022年01月25日21:58

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点鬼簿之雑談帖(その204)―ムロタニ・ツネ象氏の訃報

70年代初頭迄は、少年誌にギャグ漫画やある種風変わりな怪奇漫画を執筆し、その後学習漫画の世界に転じられた、漫画家のムロタニ・ツネ象氏の訃報が伝わりました。享年87。また一人、わたくしが慣れ親しんだ漫画家さんが、幽明境を異とする事になりました。寂寥感を禁じ得ないものがあります。

<引用開始>

ムロタニ・ツネ象さん死去、87歳 「先生の歴史マンガが私を歴史好きに育ててくれた」悼む声

漫画家のムロタニ・ツネ象さん(本名:室谷常蔵)が2021年11月22日、亡くなっていたことが2022年1月25日、明らかになった。87歳。過去の作品を掲載していた「マンガ図書館Z」を運営するJコミックテラス(東京都千代田区)が発表した。 ギャグ漫画から恐怖漫画まで多彩な作風で知られ、特に1970年代以降には歴史学習漫画を多く手掛けた。



「学研まんが人物日本史」シリーズで手掛けた「卑弥呼」
「学研まんが人物日本史」シリーズで手掛けた「卑弥呼」

「ファイトだ!!ピュー太」などアニメ化作品も

1934年生まれ。1953年に「毎日中学生新聞」掲載の「日本歴史漫歩」でデビューした。

50年代から60年代にかけては「ピカドンくん」「わんぱくター坊」など、少年誌でギャグ漫画を多く手掛け、テレビアニメ「ファイトだ!!ピュー太」(1968年)の原作となった「ドクター・ツルリ」など、アニメ化作も生み出した。恐怖漫画のジャンルでも、「地獄くん」などの作品がある。 子ども向けの学習漫画を多く手掛けたことでも知られ、特に「学研まんが日本の歴史」「学研まんが世界の歴史」「学研まんが人物日本史」などに筆をふるった。「人物日本史」では、卑弥呼や伊達政宗、坂本龍馬といった人物の生涯を生き生きと描いた。

近年では、上記の学習漫画などが電子書籍化、漫画サイト「マンガ図書館Z」などで50〜60年代の作品がオンライン公開されている。

◇「藤子F先生を『藤本』と呼び捨てできた」
Jコミックテラスの発表によれば、近年は自宅で静養しており、2021年11月22日、「ご家族に見守られて静かに旅立たれた」という。すでにJコミックテラスが着手しつつあったという原画の保存などの事業は、今後も継続される。 Jコミックテラス会長で漫画家の赤松健さんは25日、下記のようにツイートした。

「藤子F先生を『藤本』と呼び捨てできたレジェンド級漫画家、ムロタニ・ツネ象先生が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします」

ツイッター上では、「ワタシの日本史知識はほとんどムロタニツネ象先生画の学習漫画」「わたしは伊達政宗もチンギス・ハンも、ムロタニツネ象先生の漫画のイメージだな......ずっと」「ムロタニ先生の歴史マンガが私を歴史好きに育ててくれた」など、特に歴史学習漫画に親しんだ層を中心に、悼む声が上がっている。

<引用終了>

出典Web:https://www.j-cast.com/2022/01/25429597.html?p=all

ムロタニ氏でわたくしの記憶に今でも焼き付いているのは、昭和から平成への変わり目の頃、光文社文庫から全5巻で『少年』傑作集という本が出た事がありまして。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』を連載していた、雑誌少年掲載の漫画や絵物語を集めた編纂本だったのですが、その中にムロタニ氏の作品もありました(生憎作品が何だったのかは、忘れて仕舞いました)。が、巻末の後書きで、編集部より著作権継承者が不明の方が居るので、御存知の方はご連絡をというリストがありまして。その中にムロタニ氏の名前もあったのですね。

少年誌に連載を持たなくなってから、未だ20年は経過していなかったか、と思うのですが、そのくらいの期間でもう分からなくなってしまうのか、と大袈裟に言えば諸行無常の思いに駆られたものです。
尤もその数年後、学習漫画のコーナーでムロタニ氏の作品を見付けて、なんでぇ、光文社の文庫の編集部は調査が杜撰だなあとちょっと呆れたというオマケ付きでありましたが。

その時から三十有余年、遂に訃報が流れる所となりました。自分が子供の頃に、結構好きだった漫画作品の作者の訃報に接する事が多くなり、寂しい思いがします。謹んで故人の御冥福を御祈り申し上げたい、と思います。
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