新人類的にプラスティックであろうが昔ながらに義理人情しようが、あんたドライだねぇ〜〜すら時代的に通り越しドライがもはやいたってフツーになったエイティーズにおいては、そう、ライト感覚、森田芳光も相米慎二もクリスマスには達郎の歌を思い浮かべるような来夢ライトな感覚が作品に充ちている。
そう、なんとなくクリキントンに思えてしまうのである。
それでは、来夢ライトな感覚とはなんだったのか。カラスにきいてもわからない。すずめにきいてもわからない。来生たかおにきいてもわからない。ユーミンにきいてもわからない。こまってしまって わんわんわわん わんわんわわん。
浅田風に、パラノからスキゾへと逃走するとき、来夢ライトは訪れ、日本中がイルミネーションに飾られライトアップ。そこに、バブリーなサティスファクション、好きなだけスキゾしていい、となり、気がつけば漂流先も着地点も見えずに本当にノマドになるときを時代的に表したのが、岩井や園なのかな。
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