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2021年01月31日15:30

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ドイツ軍参謀の観点からの第二次世界大戦論(27)---ルーズベルトの武力挑発

第6章 芳しからざる戦局   //バルカン半島と地中海//

(訳者序)
この章では,米国ルーズベルト政権が参戦の口実を得つためのドイツへの挑発と,その挑発によるドイツの苦悩に注意してほしい。

6.1 挑発  --- ルーズベルトの武力挑発

<日本語訳>
1941年,我がUボート戦況がより良い結果を示し始めたので,フランクリン・ルーズベルトは,対抗手段を一歩進めた。毎月,あたらたなストーリ生まれ,新聞の読者には,何の変哲もなかったが,わが参謀部にとって,不吉であった。というのは,我々,海洋ににおいて自由な戦闘を行うことを否定するルースベルトの動きがますます大胆になったからだ。かれは,カナダの護衛とイギリスの護衛海域の間の間隙にある船団航路を米海軍にオーバラップさせるためにグリーンランドを占領した。その海域は,我がUボート最も戦果を挙げている場所であった。米国のキング提督は,傲慢にも,西半球は西経23度から始まると宣言した。この線は,Uボートの最上の狩猟場であるバハマ,カリブ海域,アゾレス諸島の海域を含んでいた。米海軍は,中立哨戒に加えて,人目を忍んで船団護衛を行った。このような戦争を匂わせるような行為を,ドイツの忍耐と議会の無知に付け込むことで逃げおうせた。終には,5月,大統領は,”国家非常事態”宣言した。これは,もし,事態の悪化が継続したら,国民が実際に少しばかり血を流さなければならなくなることを暗にほのめかした。これにより,以前から行っている英国側での介入を今後増加させているいくことを,彼が公に正当化したのであった。

それよりもずっと前に,1月にイギリスと合衆国の軍部による全面的な参謀会議,ドイツとイタリアの全ての範囲をこえるものであったが,それが既にワシントで極秘裏に開催されていた。世界的な戦争が勃した場合,”ドイツを最優先”とする政策合意があった。1941年のアメリカ中立法も,かつ,彼の国民にへルーズベルトが単刀直入であったことも,そんな程度のものであった。彼は,いかなるときにも,もし,英国のみが十分な援助を受ければ,彼らは戦わなくても済むという確約を溢れんばかりに流し続けた。チャ
ーチルは,”我らに道具を与えよ,さすれば仕事を終えん”という有名な演説の締めくくり,この欺瞞をけしかけた。

しかしながら,この時期におけるアメリカの大統領による最悪の干渉は,バルカンであった。1941年のバルカン会戦は決して起こす必要はなかった。ウィンストンチャーチルとフランクリン・ルーズベルトは,御しやすい政治的な問題を残酷な武力闘争へと煽ったのであった。

[訳者によるコメント]-----個人的見解
ウィンストンチャーチルとフランクリン・ルーズベルトが,ドイツが挑発に乗らなければ,日本を暴発させることによって,米国が第2次世界大戦に参戦する謀略を決定したのは,1941年の1月の参謀会議であったものと推測している。我が国の駐在武官たちが,この可能性に全く気が付いていなかったのが悔やまれる。中立法,武器供与法,国家非常事態宣言の流れから,何らかの裏取引の可能性くらい気が付きそうなものである。
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