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2021年01月08日14:42

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ドイツ軍参謀の観点からの第二次世界大戦論(21)----チャーチルとユダヤ人迫害

4.6 最後の悲劇----チャーチルは,ユダヤ人の殺害に100%と無罪か

(訳者序)
ここでは,ドイツ軍の参謀がウインストンチャーチル(および米国のルーズベルト政権)が,ヒトラのユダヤ人迫害を黙認していたことに,うすうす気が付いていたことに注意してほしい。

<日本語訳>
これらのイギリス人の強情さによる煩わしさのため,ヒトラは,精神を蝕ばまれた。彼は,いかなる場合であれ,ユダヤ人たちに理不尽であった。しかし,彼がついに許してしまった嘆かわしい行き過ぎ(訳者注:ユダヤ人虐殺をさす)は,西方でのフラストレーションに直接行きつくことができる。イギリスと同盟したドイツ,--好意的中立のイギリス--があれば,決してこれらの行き過ぎへ流れることはなかった。

しかし,我らの国家は,囲まれてており,かつ,文明から切り離されていた。我々は,野蛮人,すなわち,巨大なボルシェヴィズム国家との致命的な戦闘が必定であった。人間の思慮は,平面を通り過ぎた。その平面の線の背後で,征服されたポーランドとロシアにおいて,ナチス党のノイローゼ的な過激分子は,犯罪的な成功を自由に行使することができた。ヒトラは,チャーチルの反対によって激怒し,それらをやめされる気にならず,彼は,一言も発しなかった。(怒りが)交差したとき,彼の人間性は,恐ろるべきものであった。

これが,バトル・オブ・ブリテンの最も重要な結果である。

[訳者によるコメント]-----個人的見解

訳者からみても,”ウインストンチャーチルが頑固であったため,欧州のユダヤ人が殺害された”と主張するのは無理がある。しかしながら,ウインストンチャーチル[1](および米国のルーズベルト政権[2])が欧州のユダヤ人の殺害に対して100%と無罪する訳にはいかない。両者とも本音は反ユダヤ主義で,ヒトラからユダヤ人問題も押し付けられるのをいやがり,敢えて,黙殺を決め込んだのが真相のようである。

ユダヤ政治難民に対して,最も人道的な政策を行ったのは,米英が悪の権家として叩き潰した大日本帝国であったことは歴史の皮肉である。国家を挙げてというわけでなく,杉浦氏や樋口将軍に代表される一部の軍人や官僚たちであったかもしれないが。東条英機も,”日本はドイツの同盟国であるがドイツの属国ではない。極端な人種差別政策は,国是である八紘一宇に反するので,受け入れがたい”と発言したくらいである。リベラル系のアメリカ人たち(全員ではない。マッカサー元帥らは,ある程度日本の立場を認めていた)は,意図的にこの歴史をもなっかたこととして,抹殺している。

[参考文献]
[1] Richard Breitman "封印されたホロコースト―ローズヴェルト、チャーチルはどこまで知っていたか"(邦訳)
[2] Rafael Medoff”FDR and the Holocaust: A Breach of Faith "

第4章(鷲とあしか)の総括

[英訳者(ビクター・ヘンリー:架空の人物)によるコメント]-----アメリカ人の平均的な見解
ルーン(ドイツ軍の参謀)のバトル・オブ・ブリテンに関する議論は,受け入れがたい。敗北をいさぎよ認めこことは, チュートン族の伝統に反するのである。私は,第2次世界大戦の重要なドイツの軍事文献の大部分を読んだ読んだが,この苦い薬を消化してあるものは殆どない。しかしながら,ウインストンチャーチルが頑固であったため,欧州のユダヤ人の殺害されたというルーンのこじつけは,自己弁護を行う文献のなかでさえも,最も評価できない点であるに違いない

戦闘に参加した飛行機に関する彼の数字は,信頼がおけない。確かなことは,戦争に関する統計で,真実をつきとめたものは,殆どないことである。日付もとづいて,初期戦力が把握される(ことが多い)が,部隊の本来の(敵と味方の)バランスは,それと異なる。その後,損失と交代により,数字は1週間ごとに異なる。戦闘における戦場の霧[注1]は,濃く,双方の司令部には,混乱した記録しかのこされていない。バトル・オブ・ブリテンをルーンは暗に対等だった主張しているが,それを対当であったとしている公式の記録は,これまでに私が読んだなかにはない。

攻撃は和平のためのジェスチャであったという彼の主張は,戦いの結果が引き分けだった彼の主張と同様に馬鹿げている。もし,かつてのような別の大きな戦争が起きたならば,アメリカ合衆国の軍隊は,そのような引き分けとなる戦いを行わないことを,遠い廻しながら望むものである。。

歴史の通説は,引き分けでないことを正しいことを示している。ゲーリングは,日中の制空権を確保しようとしたが,2人の戦闘機隊の指揮官は,戦い抜いたが,うまく行かなかった。そこで,彼は,戦争をやめさせるために,民間人を爆撃することを試みた。最初は日中に,後に夜間に,結局うまく行かなかった。イギリスと戦闘機の操縦員は,遥かに多くのドイツ空軍を押し返し,世界をドイツから救った。海上からの侵攻は,決して熟することはなかった。なぜなら,ヒトラの提督や将軍たちがヒトラをして,イギリス軍は,海峡を超えるときにあまりにも多くのドイツ兵を溺れさせるだろうことと,チャーチ利が言うように,海岸に蝟集した生き残りの頭のかち割ることを確信させたからだ。海軍は,成り行きが荒れようとしているときも,手元の有力な手段として残こすことができる。我が国の者は,このことを忘れないだろう。

イギリスの勝利を明確化した瞬間は,存在しない。彼らは,海の獅子作戦が中止されたときに,実質的に勝利したのである。ドイツ空軍は,イギリスの都市に対す夜間爆撃を継続し,Uボートによる船舶の撃沈は,イギリスの見通しをますます暗いものにした。これは,ヒトラがソ連を攻撃するまで続いた。しかし,ドイツ空軍は,バトル・オブ・ブリテンから決して回復することはなかった。これは,1941年にドイツがモスクワの占領に失敗した理由の一つである。電撃戦は,ロシアにおいて電撃が尽きていた。これは,(ドイツ空軍が)ケント,サリーの原野,そして,ロンドンの街路で,あまりにも多くの電撃を落とし過ぎたからである。
-----ビクター・ヘンリー

[訳者によるコメント]-----個人的見解

バトル・オブ・ブリテンであるが,客観的にみて,イギリス人パイロット達が超人的な空戦能力を持っていたわけでもなく,ドイツのパイロットの空戦能力が劣っていたわけでもない。イギリスが勝利できたのは,地の利とレーダによる航空機の管制システムの効果が大きい。英訳者(架空のアメリカ人)が,特にレーダによる航空機の管制システムにより防御側の戦力集中が容易となったことに言及しないのは,片手落ちと言わざるを得ない。

英訳者(架空のアメリカ人)は,”攻撃は和平のためのジェスチャであったという彼の主張を馬鹿げている”としているが,このまま,お互いに消耗戦を続けづき,一時的でいいから,独ソ不可侵条約レベルでいいので休戦しようとする意図であれば,それなりに合理的な考え方である。このとき,一時的にせよ休戦し,イギリスが伝統的な大陸均衡策に回帰することが,イギリスにとって最善の策であったことは想像にかたくない。ヒトラとスターリンのつぶし合いで,漁夫の利をえることができるからである。しかしながら,参戦への機会をうかがっていたルーズベルト政権にとって,イギリスが伝統的な大陸均衡策に回帰されたのでは,参戦の根拠を失う。訳者は,米国ルーズベルト政権が暗にイギリスに対して督戦を促したと見なしている。このため,リベラル系のアメリカ人たちは,”馬鹿げている”と言わざるをえないと判断している。

英訳者(架空のアメリカ人)は,,”ウインストンチャーチルが頑固であったため,欧州のユダヤ人の殺害された”は,事実無根のこじつけ主張している。しかしながら,ウインストンチャーチルおよび米国のルーズベルト政権が欧州のユダヤ人の殺害に対して100%と無罪する訳にはいかない。両人とも,本音では,反ユダヤ主義で,ユダヤ人迫害を敢えて黙殺した。リベラル系のアメリカ人たち(全員ではない。マッカサー元帥らは,ある程度日本の立場を認めていた)は,意図的にこの歴史をなっかたこととして,抹殺している。これは,連合国にとって黒歴史であるため,100%ヒトラのせいにしたのであろう。

以上で,第4章 鷲とあしか//バトル・オブ・ブリテン//の翻訳とコメントを完了する。次回から,第5章 庭用ホース//ルーズベルトによる介入//の翻訳とコメントを行う予定
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