中道とは、無理しないもの、
気負わないもの、自然と善を為す。
継続を要する。それだけである。
善は為すべし。
これを仏道の修行姿勢と言う。
適切な道であるから、目的に至る。
目的はニッバーナ。涅槃である。
生でも死でもない境地である。古より、不生不滅と言う。
中道とは、涅槃への正道なのだ。
苦行とは、どこかに力を入れ、開放と同時にスカッとする。
それを調子良いと誤解する。しかし、本来の調子良いではない。
どこかを傷ませる。そういうものだ。
養生に、少陰を採って、太陽を養うとある。
少しの調子悪さを大事にして、元気を養うと言う意味合いだ。
日本では、陽大小陰ではなく、陰大小陽とすべきだとも言われた。
肉体は不浄であるから陰大、元気は、精や一であるから、小陽であると。
これは、理の話。
調子良い調子悪いは、陽大小陰である。
元気だから陽大なのである。
話を戻すと、養生に外れ、傷ませる。と言える。
もう一つ中道には、快楽を制する必要性を挙げる。
一日二日に一片ほど、精を抜く必要がある。
しかし、流されるのは違う。
古伝では、全く抜かないような話があるが、そうではないと思う。
実際、溜め込むと、調子が悪い、イライラする。
怒りやすくなる。
仕事でもしているなら、力に変えるのもあるだろう。
しかし、仏道は、静修なのだ。
じっとする力が必要であり、
適度に力を抜くのが必要だ。
イライラしては、成らない。
そして、欲望を野放しにしない事が必要なのだ。
これを清修と言う。
中でも、性には、とても注意が必要だ。
流されず、溜め込まず、
これを精修と言う。
これも細かい意味で中道だ。
よって、三修が必要である。
長く道を行くには、それなりの備えが必要である。
三修は、道を行く基礎である。
仏道を尊ぶべし。
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