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2020年07月17日22:33

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中道章

中道とは、無理しないもの、
気負わないもの、自然と善を為す。
継続を要する。それだけである。
善は為すべし。
これを仏道の修行姿勢と言う。
適切な道であるから、目的に至る。
目的はニッバーナ。涅槃である。
生でも死でもない境地である。古より、不生不滅と言う。
中道とは、涅槃への正道なのだ。
苦行とは、どこかに力を入れ、開放と同時にスカッとする。
それを調子良いと誤解する。しかし、本来の調子良いではない。
どこかを傷ませる。そういうものだ。
養生に、少陰を採って、太陽を養うとある。
少しの調子悪さを大事にして、元気を養うと言う意味合いだ。
日本では、陽大小陰ではなく、陰大小陽とすべきだとも言われた。
肉体は不浄であるから陰大、元気は、精や一であるから、小陽であると。
これは、理の話。
調子良い調子悪いは、陽大小陰である。
元気だから陽大なのである。
話を戻すと、養生に外れ、傷ませる。と言える。
もう一つ中道には、快楽を制する必要性を挙げる。
一日二日に一片ほど、精を抜く必要がある。
しかし、流されるのは違う。
古伝では、全く抜かないような話があるが、そうではないと思う。
実際、溜め込むと、調子が悪い、イライラする。
怒りやすくなる。
仕事でもしているなら、力に変えるのもあるだろう。
しかし、仏道は、静修なのだ。
じっとする力が必要であり、
適度に力を抜くのが必要だ。
イライラしては、成らない。
そして、欲望を野放しにしない事が必要なのだ。
これを清修と言う。
中でも、性には、とても注意が必要だ。
流されず、溜め込まず、
これを精修と言う。
これも細かい意味で中道だ。
よって、三修が必要である。
長く道を行くには、それなりの備えが必要である。
三修は、道を行く基礎である。
仏道を尊ぶべし。
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