mixiユーザー(id:5087127)

2020年06月17日23:57

876 view

新・音盤雑談帖(その85)―ジョージ・セル:ドヴォルザーク&スメタナ録音集成

さて先達て、ソニー・クラシカルからジョージ・セルが米コロンビアに残した、ドヴォルザークとスメタナの録音集成のセットが出ました。セルはわたくしの御贔屓指揮者の一人、でありますしまたドヴォルザークやスメタナの交響曲・管弦楽曲も、わたくしのお気に入りの楽曲。わたくしがクラシック音楽を聴き始めた頃、セルのドヴォルザークやスメタナは十八番物、という定評がありました。ある程度聴き込んだので、感想文を少々。

セルのドヴォルザークやスメタナの管弦楽曲の録音は、実は左程多くはなくて。ドヴォルザークは第七交響曲〜第九交響曲(モノラルでは第九交響曲を別に録音していますが)、謝肉祭序曲とスラヴ舞曲全曲、ピアノ協奏曲だけ、でありまして録音が残って良そうなチェロ協奏曲もないし、第九交響曲以降に作曲された一連の交響詩もなく。
スメタナの方は、と見ると『売られた花嫁』の序曲と3つの舞曲、モルダウ(ステレオとモノラル)、ボヘミアの森と草原から(モノラル録音)、そして珍しいセル自身の編曲による弦楽四重奏曲「わが生涯より」の管弦楽曲版のみ。モルダウを二曲目とするわが祖国の全曲も録音していない、のでありますね。十八番、という割には少ない様な。

只、つらつら思うにドヴォルザークの交響曲でいえば第九交響曲『新世界より』(数の点では遜色がありますが、第八交響曲)、スメタナの管弦楽曲でいえばモルダウ以外の楽曲が録音される様になったのは、1970年代以降の事の様で。かのアンチェルですら、チェコ・フィルと録音しているのは、わが祖国と新世界交響曲のみ。チェコ・フィルによる全集、となるとアンチェルの後任だったノイマンの時代を待たないといけない訳で。
これより前でドヴォルザークの録音で気を吐いていたのは、わたくしの知る限りではケルテス位か、と。スメタナについても、わが祖国の全曲が録音される様になったのは、アンチェルの録音を除くとクーベリックがボストン交響楽団を指揮してから、以降の様ですね(これも1970年代に入ってから)。どうもそれまではメジャー作曲家の中では比較的マイナーな立ち位置であった、と考えて良いのでは、と思います。

それを考え合わせると、モノラル録音を含めてCD7枚分の録音を残したセルは、それでも多い方だと考えるべきなのかも知れません。
演奏そのものは、既に定評のあるものばかりでありますが、個人的にはステレオとモノラルの録音が残されているモノラル期の録音の方が、より溌剌とした勢いのある演奏が聴けて、大いに聴き物ではないか、と思いますね。言って仕舞えば新酒の味わいと取るか、熟成酒のこくを取るか、と云った所でしょうか。演奏時間も同じ曲では、モノラルの物の方が短い様ですし。

只、全くの鶏肋党的与太話を申し上げますと、リマスタリングの技術が進んだ御蔭で、セルの透徹した音楽の作りが更に鮮明になる一方で、セルの録音に多く残されていた(?)セル自身のノイズ(鼻息や思わず声に出て仕舞った歌声(?)、ムン、と云った気合の掛け声と云ったもの)がすっかり綺麗になって仕舞って、寂しい事夥しいものが。
これはまあ、文句を並べる方がおかしい、のでありましてリマスタリングによって低音部はより力感に溢れ、高音部は輝きを増しているのでありますから、文句を言ってはバチが当たるというもの。国内盤を含めると(モノラル盤を除くと)ステレオは買い直しになるものが殆ど、ですがダブってもこの音質なら十分納得のいくものでありました。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する