mixiユーザー(id:5087127)

2020年04月15日23:52

57 view

ローカルニュース之雑談帖(その274)―熊本城の再建状況

震度7を記録した、熊本地震からはや4年。此処の所、わたくしの大嫌いな某Cの国が撒き散らした悪性のウィルスのニュースばかりで、他のニュースは皆片隅に押しやられて仕舞った印象が。様々な影響のある疫病でありますので、止むを得ない所ではありますが、個人的には些か辟易の思いも。

さて、地震で大きな被害を受けた熊本城の現状について、記事がでていましたのでちょっと御紹介。

<引用開始>

熊本城再建 まだ「2割」 天守閣最優先、38年度完全復旧 石垣の補修「丁寧に」

2度の震度7を観測した熊本地震から4年。被災した熊本城で城郭の修復作業が進んでいる。最優先で工事が進められた天守閣は2021年春にも一般客が内部に入れる見通しだ。ただ、城内には崩れた石垣や倒壊した櫓(やぐら)が残り、工事の進捗は熊本市の基本計画の「2割」にとどまる。38年度に完全復旧を目指す熊本城を訪ねた。

3月中旬、工事車両が行き交う規制区域内を熊本城調査研究センターの金田一精さんが案内してくれた。まず向かったのは「飯田丸五階櫓」。地震で櫓下の石垣が崩落し、角石のみで支えられ奇跡の一本石垣として注目を浴びた。櫓はすでに解体され、現在は地震の影響で波打ったり、一部が崩れたりした石垣だけが残る。「熊本城の顔は天守閣ではなく石垣です」と金田さん。強固な守りを誇った熊本城は天守閣をはじめとする大半の建物に石垣が積み上げられ、時代ごとに補強されてきた。金田さんらの調査によると、熊本地震で約3割の石垣が被災。その数は10万個超ともいわれるが「正確な数は分からない」という。回収された石垣は崩落箇所ごとに記号を付けて振り分けられ、城内で保管されていた。

天守閣では大天守の修復がほぼ終わり、現在は小天守の工事が中心となっている。熊本市は18年に策定した「熊本城復旧基本計画」で、天守閣や13の重要文化財建造物などの復旧工事の優先順位を決めている。天守閣は市民からの要望も多く「最優先で復旧」とし、大天守の外観は被災から3年半で修復を終えた。金田さんは「天守閣は鉄筋コンクリートなどの復元建造物だから早く復旧できた」と話す。天守閣は1877年の西南戦争で焼失した後、1960年に現代的な技術で再建された。重要文化財建造物ではない。

一方で、重要文化財は可能な限り、当時の材料を用い、原形に戻す必要がある。欠けた石垣も補強したり、接合したりしながら積み上げ、耐震性も確保しなければならないという。基本計画には盛り込まれなかった検討事項も多い。天守閣脇の「宇土櫓」もその一つだ。隣に連なっていた櫓とともに倒壊したままの状態だったが、市は3月末に全てを解体し復旧する方針を決めた。「調査しながら解体を進め、具体的な復旧方法も決めなければならない」と金田さん。重要文化財はすでに7棟を解体したが、同様に復旧の見通しが立っていない。

桜が美しい広場の一角からは、石垣が崩れたままの「戌亥櫓」が見えた。建物中心部からえぐれるように崩壊し両脇の石垣に支えられている。「石垣を集めたり調査したりしたいが、崩壊する危険があって着手できない」(金田さん)という。基本計画は復旧まで20年を要する想定で、被災から4年たった現在までは予定通りに進んでいるが、危険箇所や再建方法が決まらない建造物などの対策が反映されていない。計画は5年ごとに見直される予定で、市関係者は「長期化する可能性も否定しない」と話す。金田さんは「歴史的価値を維持するのも重要な仕事。100年後の熊本城を考えて丁寧に作業を進めたい」と力を込めた。

<引用終了>

出典Web:https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200415&ng=DGKKZO58029230U0A410C2CR0000

名古屋城や広島城、岡山城同様、現在の熊本城も戦後外観復元された、鉄筋コンクリート製なのは、予てより承知していましたが、耐震性の点では問題はなかったのでしょうか。同じ時期に復興された、鉄筋コンクリート製の名古屋城天守閣が(人気取り第一の視聴の思惑もあって)、耐震性に問題があるとの事でそれならばいっそ、木造で拵え直そうという話になっているのを考えますと、些か気にならないでもない所。まあ素人がいらぬ心配をする必要はないだろう、と思いますが、地道に復元作業を続けてほしいと思います。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する