三昧は四諦だった。
しかし、これは、なかなか動かない。
禅にも力が入る。
絞り出すようにしていた。
瞑想でもできるのだろうが、
禅が良い。
あらゆる者を壊す。
仏も自分も殺す。
はたして、中枢には、魂らしき者があった。
私は、どうせ死ぬのだから、と打ち込んでいる。
四諦は、熟練者でなければ、できないだろう。
瞑想力がなければできないだろう。
今、涅槃に退転せず、とは、羅漢果である。
または不還果。
仏は菩薩のみ導く。
仏の正慧を求める者のみ、導かれる。
四諦は、その三昧である。
三昧の結果、仏になる。
知恵が完成され、無上の自覚を得る。
自分肉体とは構造である。
実体無い。
これを深めねばならない。
感想なども絞り出す。
今、カラカラである。
心相は、自我を造らない。
心臓は不思議、勝手に動く。
無ではない、無我だ。不生である。
構造はない。
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