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2019年10月04日23:37

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歴史之雑談帖(その239)―藤原宮の謎の遺構発見

藤原京は、嘗ては平城京へ遷都する前の、従来各宮と同様に一時的な京、と嘗て高校時代に習った記憶が。ところが近年の発掘調査によって、平城京や平安京よりも広い、京であった事が明らかになりまして。

昔、発掘が本格化する前(昭和60年代初頭)、藤原京の跡地に出掛けた事がありましたが、広漠たる田畑が広がる、嘗て此処に日本の京があったとは想像しにくい光景でありました。
その藤原京の宮で、また謎めいた遺構が発見されたそうで。

<引用開始>

大極殿後方に未知の回廊 柱据える礎石の痕跡確認


奈良県橿原市の藤原宮(694〜710年)跡で、天皇が政務や儀式を行った「大極殿」の後方で、東西方向の回廊跡を発見したと奈良文化財研究所が3日、発表した。大極殿後方を回廊で仕切る構造は、ほかの宮では確認されておらず「未知の回廊」といい、同研究所は「宮殿中枢部の変遷を考える上で重要」としている。藤原宮より前に造営された前期難波宮(大阪市、7世紀半ば)では、藤原宮の大極殿に相当する「内裏前殿」の後方に、内裏を区切るように配置された東西に長い建物があり、藤原宮は前期難波宮の影響を受けた可能性があるという。

調査では大極殿の北東部に、柱を据える礎石の痕跡を11カ所確認。位置関係などから、東西28.7メートル、南北5.8メートルで、塀を挟んで2本の通路が並ぶ「複廊」形式の回廊と判断した。これまでの調査で、東西約120メートル、南北約165メートルの複廊形式の回廊に囲まれた「大極殿院」の中心に大極殿があったことが分かっている。見つかった回廊は、東端が大極殿院の東側回廊と丁字形に接続する一方、西端は西側の回廊までつながらず、途中で切れていた。古代の宮殿は左右対称に施設を配置するため、大極殿の北西部にも同様の回廊があったと考えられる。

<引用終了>

出典Web:https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20191004&ng=DGKKZO50584180U9A001C1CR0000

藤原京(宮も含めて)は、まだまだ謎が多い様で、これからどんな事が解るのか、興味津々でありますね。

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