mixiユーザー(id:2312860)

2019年09月10日20:53

63 view

資本制的でない企業の内部構造

「ところで「企業」は、資本制的なものであろうか? 「企業」は資本制的にふるまうが、企業の内部構造は、まったく資本制的にできていない。だから経済学と経営学とはまったくディシプリンがちがう。経済学は企業の行動を扱うが、経営学は、企業組織を扱う。マルクス主義は経営を労使の対立ととらえるから、労働運動論はあるが、マルクス主義経営論というものはない。その実、労働組合という組織が企業のミニチュアになっていて、経営という観点からの組織論をまったく欠いているために、労働組合の組織の方が企業組織よりもつねに硬直しておくれているという皮肉な逆説が起きる。」

上野千鶴子『家父長制と資本性−マルクス主義フェミニズムの地平』(岩波書店・1990年)p.275

.:*:'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆。'・.:*:・.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・

東大の入学式の「祝辞」で「女子学生の置かれている現実」について語った上野千鶴子。
先日、とある古本市で彼女の著作を見かけたのだが、「図書館で借りればよいか」と思って買わなかった。実際に図書館から借りて読んでみると、本当に面白い。買えばよかった(笑)。
『家父長制と資本性』には単行本版と岩波現代文庫版があり、出来れば後者を入手したいのだが、なぜか図書館にも無く、古本屋でもあまり見かけない。

2か月ほど前に、賃金の形態論について考えたことがあった。
賃金の形態には、経済合理性だけでは必ずしも説明が出来ない部分があるように思われる。とりわけ、我が国では、それが顕著だ。世界が、資本制(市場)だけで構成されるのであれば、賃金の形態も経済合理性に大部分が支配されるだろう。しかし、現実には市場の外に「国家」や「家族」や「企業」といったものがあり、それぞれが「経済」の論理(合理性)とは違った論理で動いている。

上野は、「マルクス主義フェミニズム」の立場から、家族制度の一種である「家父長制」の論理に切り込み、その機能を論じる。上野が「マルクス主義」と称することについては、吉本隆明(対幻想論)などが批判していたと記憶しているが、上野の論述は、読んでいて興味深いものだ。

「労働組合の組織の方が企業組織よりもつねに硬直しておくれている」という上野の指摘は面白い。労働組合の組織率が長期低落している21世紀の現在であれば、このような指摘に新味は感じられないかもしれない。しかし、1990年当時、マルクス主義を標榜する論者として、このような発言は珍しかったと思う。日本という社会の中で、資本制のみならず、マルクス主義党派や労働組合運動の中にも「家父長制」を見ていた上野ならではの分析ではないか。こうした鋭さゆえに、彼女は正統派?マルクス主義者たちから煙たがられていたのかも知れない。

もっとも、労働組合における経営論の不在をマルクス主義だけのせいにするのは行き過ぎだろう。労働組合運動の中には、マルクス主義に根差さない潮流もあったのだから。しかし、労働組合のような市場原理に服さない(非営利の)組織が、どうして「硬直」し「遅れたものとなる」のかは、考えるべき問題のひとつだろう。

上野の提起した議論の中に、賃金形態論を考えるヒントがあるように思われる。
また、マルクス主義におけるフェミニズムという問題も面白いと思う。
これらについては、いずれ考えてみたい。

◆平成31年度東京大学学部入学式 祝辞(東京大学)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

◆賃金形態論(2019年07月20日)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1972320441&owner_id=2312860

2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する