mixiユーザー(id:2938771)

2019年02月07日01:02

133 view

泥の中でもエロは棲む、その7

 筆者には昔から何の才能もなかった。顔がいいわけでもないし、運動が出来るわけでもないし、頭も悪かった上に、話をしても面白くなかった。ただ、たった一つだけ、他人に誇れる才能があった。それがエロだった。エロ話を作ることだけが得意だったのだ。
 最初の頃は、友だちを集めて、ありもしないエロ話をしていた。筆者の得意ネタは秘密結社ものだった。秘密結社に入ると、そこでエロ儀式が行われるというものなのだ。さらには、敵の結社の人間に対する尋問や拷問というのもあった。最初はそれで満足していた友だちは、やがて、それだけでは満足しなくなった。話に飽きてくるのだ。
 そこで、秘密結社には、女優やアイドルがいるという話になった。ところが、これも飽きるのだ。リアリティがないからだ。
 最終的には、隣近所に実在している奥さんやお姉さん、クラスメイトの名前を出すようになった。もう、ほとんど犯罪である。名前を出された人間にとっては迷惑なことこの上ないことだったろうと思われる。許されるようなことではない。しかし、筆者の話を信じるような友だちは一人もいなかった。当たり前なのだ。友だちは皆「本当かよ」「嘘だあ」「あるわけないよ」と、そう言いながら聞いていた。嘘だと分かっていても話を楽しめたのだ。嘘だと分かっているのに、筆者が記憶違いで何かを間違えると怒って指摘する。あの娘が捕まって尋問されるのは二度目だ、はじめてじゃないだろう、と、やられるのだ。筆者はあわてて、実は双子だったとか、敵を騙すために二人用意されていた、そのもう一人だった、などと取り繕うのだが、もともと誰も信じていない話なのだ。そこが面白いのだ。誰も信じていないから何の話を作っても許されるというものではない。許されるというものではないが、しかし、悪いことでありながらも、それはあってはいけないものなのかというと、筆者にはそこは疑問なのだ。
 教科書は正しい。偉い人の言うことは正しい。本は正しい。学校の先生は正しい。現代の日本字は、何だか正しいことばかりの世の中を生きているように思う。嘘は悪いこと。作り話はいけないこと。真実だけが認められる。しかし、そんな中を生きて来た子供は大人になって、きちんと疑うことが出来るのだろうか。
 オカルト、都市伝説、単純詐欺、世の中は嘘で満ち溢れている。しかし、嘘を真剣に楽しんだ筆者たちは、何でも疑う。疑うが楽しむ。子供たちはそれでよかったのではないだろうか。嘘だと分かって、それを楽しむ。そのぐらいの余裕がないと人生は面白くならないのだ。どうして、今の日本人は本物ばかりを求めているのだろうか。それが筆者には分からないのだ。リアルというのは、時に大事だが、時にはつまらないものなのだ。そして、リアルにばかり拘るから、危険な嘘にも騙されやすくなるのではないだろうか。
 エロ雑誌、エロ小説、酷いものはドキュメントのエロ、そんなものは嘘だらけだったのだ。嘘だからよかったのだ。嘘だから子供たちが危険に晒されているのだとする考えが筆者には分からないのだ。どうしても分からないのだ。
0 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年02月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728