mixiユーザー(id:5087127)

2019年01月14日23:21

114 view

ローカルニュース之雑談帖(その245)―八ツ場ダムの現状

八ツ場ダム、と言いますと建設計画が発表されてから、根強い反対運動が続き、世代交代や過疎化の点から、漸く折り合いがついて建設工事がはじまった、と思いきや。何処ぞの何の実行力もない、口だけの御馬鹿連中が粋がって工事差し止めを。数年の時間の浪費の後、漸く工事が再開された経緯は良く知られた所か、と。その建設現場が今、観光名所となりつつあるそうで。ううむ。

<引用開始>

「八ツ場」に年16万人 かつて対立の国と地元、協力関係築く ダム建設中「観光なら今」

群馬県長野原町の八ツ場(やんば)ダムに多くの観光客が集まっている。その数、年間約16万人。「首都圏で唯一、建設中のダムが見られる」が売りだ。建設を巡ってかつて対立した国と地元が協力し、観光地化に取り組む。曲折を経た巨大インフラは2019年度に完成する。


「大臣が急にやってきて中止と言った」「ダムができて栄えた地域はないというのが正直なところです」。「道の駅」八ツ場ふるさと館の社長、篠原茂さん(68)がユーモアを交えてダムと町の歴史、実情を説明する。18年12月上旬に開催された1時間のナイトツアー。参加者はライトに浮かぶクレーンやコンクリートの擁壁のスケールに息をのみ、歓声を上げた。平日にもかかわらず40人の定員を大幅に上回る約100人が参加。駐車場の制限から25人は断らざるを得なかった。

埼玉県熊谷市の会社員、伊藤直也さん(48)はダム好きのリピーター。「だんだん出来上がっていく今しかない面白さがある」。町出身の野口徹さん(38)は家族5人で訪れた。「故郷を目に焼き付けておきたかった」
企画したのは17年に住民と町、国土交通省の約20人で結成した「チームやんば」。温泉協会の会長、樋田省三さん(54)がトップを務め、18年は地元主催の有料ツアーを5回開催した。ほぼ毎日実施する同省主催ツアーもあり、17年度は2万9千人、18年度は11月末までに4万9千人が来場。ツアーに参加しなかった人も含めると、16万6千人がダムを訪れた。


今後は地元主催を増やし、将来にわたる継続的な集客につなげていく。利根川治水策として建設計画が発表されたのは1952年のことだ。反対運動は激しく、国の職員を拒むバリケードを張り建設反対の看板があちこちに立った。85年に地元が受け入れを決め、関連工事に着手。多額の工事費が消化された後の2009年になって民主党政権が建設中止を表明した曲折の歴史がある。

樋田さんはダム問題に人生をかけた1世代前を思う。「不況や過疎問題が絡み合って最後はダムを受け入れるしかなかった思いは計り知れない」国交省は八ツ場ダム工事事務所に地域振興課を置き、ダムを目玉にした誘客に全面協力する。「工事を見せれば、完成後にも来てもらえる」と遠藤武志副所長。

12月のツアー後、「チームやんば」のメンバーは酒を飲みながら今後の企画を話し合った。「水を入れる前、ダム底を歩いてもらうのはどうだろう」。地元からはそんなアイデアも飛び出した。移転補償を受け地元を離れた住民も多い。移転対象470世帯のうち代替地に移ったのは94世帯だけ。振興資金を活用して移転・新築した小学校は温水プールやエスカレーターを備えるが、児童は20人しかいない。

樋田さんが経営していた温泉旅館は水底に沈み、移転先で19年中に再開する予定だ。ダムを訪れた人の消費を喚起することが今後の課題。「温泉の泉質にだって自信がある。いつまでも国には頼れないし、ノスタルジーに浸ってもいられない」大規模公共工事は地域のありようを変え、ときには深い対立を生む。そうした歴史を乗り越えた先、ダム完成後の地域にはどんな未来があるのだろう。

<引用終了>

出典Web:https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190114&ng=DGKKZO39985920U9A110C1CC1000

わたくしが大学時代の前半に所属していたサークルで、夏の合宿地がこの八ツ場ダムで水没する、旧川原湯温泉でありまして。当時はダムの建設工事など、影も形もないころ。考えてみれば今から40年以上も昔の話ですから、それも当然の事。この地を走る吾妻線は線路を付け替えて、温泉宿も高台に移転して、と言うのは知っていましたが、ダムの工事現場が見られるとは知りませんでした。機会を拵えて、建設工事現場を訪れたい様にも思いますが、さてどんなものなのでしょうか。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する