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2018年12月02日00:06

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点鬼簿之雑談帖(その120)―父ブッシュ元大統領の訃報

米国第41代大統領様だった、ジョージ・H・W・ブッシュ氏の訃報が伝えられました。享年94。珍しくも副大統領を長く務めた後、大統領に就任し、また歴代の米国大統領の中で最長寿の方でもあったそうで。

<引用開始>

ブッシュ(父)元米大統領、94歳で死去 息子のブッシュ元大統領が発表

1989年から1993年にかけて第41代米大統領を務めたジョージ・H・W・ブッシュ氏が11月30日夜、亡くなった。94歳だった。息子のジョージ・W・ブッシュ元大統領が声明を発表した。ブッシュ氏はロナルド・レーガン大統領の副大統領を2期務めた後、大統領に当選した。

第43代米大統領として2期を務めた息子のジョージ・W・ブッシュ元大統領は声明を発表し、「ジェブ、ニール、マーヴィンと私から、悲しいお知らせです。94年の人生を見事に送ってきた愛する父さんが亡くなりました。ジョージ・H・W・ブッシュは優れた人格者で、息子や娘にとって最高の父親でした。ブッシュ家の全員が『41』の人生と愛情に深く感謝しています。そして父さんの世話をして、父さんのために祈ってくれた人たちの思いやりと、友人や市民のみなさんのお悔やみに深く感謝します」と挨拶した。

直接の死因は明らかになっていない。73年間連れ添ったバーバラ夫人が今年4月に死去した翌週、血液の感染症で集中治療室に入院した。2012年には欠陥性パーキンソン症候群を患っていると発表したが、2014年6月にはメイン州の別荘近くで補助つきのスカイダイビングに挑戦し、90歳の誕生日を祝った。しかし近年では公の場に出ることが減り、車椅子を使うことが多かった。

任期中は冷戦終結に関わり、東欧諸国の共産党政権が破綻しソ連邦が崩壊するなかで、世界唯一の超大国の指導者として外交手腕を発揮。国際社会における米国の信頼を高めるに至った。1991年1月からイラク空爆「砂漠の嵐」作戦を開始し、国内の支持率は90%に達した。その一方で内政を軽視していると批判され、初当選の際の増税しないという公約を違えたことなどから、再選を目指した1992年大統領選で民主党のビル・クリントン氏に敗れた。

ブッシュ氏は1924年7月、マサチューセッツ州で、後に連邦上院議員となる投資銀行家の父の元に生まれた。第2次世界大戦では海軍に志願し、戦闘機パイロットとして日本爆撃作戦に参加。1944年9月に小笠原諸島爆撃で旧日本軍に撃墜された。戦後にイェール大学に入学し、卒業後に夫人や幼い子供たちと共にテキサスに移住。石油業界で成功し、40歳になるまでに億万長者となり、1964年に政界入りした。1966年に米下院に初当選し、1971年にはニクソン政権の国連大使に就任。米中国交回復の後、初の北京大使となる。1976年にはフォード政権の中央情報局(CIA)長官となり、1981年〜89年のレーガン政権で副大統領を務めた。子供5人と孫17人、ひ孫8人、妹と弟が残された。

<引用終了>

出典Web:https://www.bbc.com/japanese/46410789

わたくしは米国には縁の少ない人間、でありますがそれでも父ブッシュ元大統領については一つの思い出が。例によって例の如く、駐在員稼業をしていたロンドンでの事。血液中の中性脂肪値が高い、と言われたので運動に励んでいた―と云っても、会社の帰りに地下鉄でロンドンの繁華街で下車して買い物等をした後、当時の自宅まで3〜40分ほどかけて歩いて帰る、と言った程度―某日。
例によって歩いての帰宅の途中、リージェント・パークの脇を通る道を歩いていた所、わたくしの進行方向から物々しい車の一列が。先頭にパトカーが居たので、誰かお偉いさんだろう、と思っていたら。米国国旗の星条旗を翻した、それこそ戦車の様な頑丈そうな、またキャデラックやリンカーンと云った、所謂高級外車よりも更に一回りでかい車がゆっくりと。はてな誰だろうこの車の主は、と思い、ちょうどロンドン・サミットの開催時期でしたので、ああ、この車列は(当時の)ブッシュ大統領のだな、と思い当たりました。

恐らくはテロの防止の為でありましょうが、何処に大統領が乗っているかわからなくする為か、全く同じサイズの、同じ様に星条旗をヘンポンと翻した車が3台並んでわたくしの目の前を通過し、流石に世界最大のVIPの事はあるなあ、と感心していたら。何台か置いた後に、これまた戦車の様な救急車が二台登場して吃驚仰天。何かのテロがあった場合や、急病に見舞われたに緊急治療が出来る様に、という事なのでしょうが、それまで見た事もなかった様な大きさの救急車に、ある意味感心しました。

尤もその割には、沿道を見回しても警官の姿は一人も見当たらず、それで良いのかねえとも思った事を覚えて居ります。まあ、天下のシークレット・サービスががっつり固めているので、沿道の警備は無用という事だったのかも知れませんが。

一時代を築いた人物の訃報に接し、あれこれ感慨深いものがあります。謹んで故人の御冥福をお祈りしたいと思います。







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