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2018年09月15日23:03

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狂走情死考

『狂走情死考』
時間がなく夜にしか見れないということもあり、事前に早回ししながら、お茶の間で家族とともに見れるのかをチェックする。オオシマぐらいのヌードならば家族もオッケーだろうと思っていたら、やはりリヴィングルームではN Gの様子を早回しに感じてくる。早回しで見ながら思ったのは、オオシマと同じような、昭和的辛気臭さ- オオシマを観ていたのは大昔なのでもしかしたらイマ観ると、若松のようにモダーンと、思うかもしれないが -であり、観らずに返却しようかと思ったけれど、時間ができ観る。すると、なんかよかった。最終盤の戸浦六宏と武藤洋子のプロレスシーンは凄まじかった。喜重の日本脱出、鈴木ヤスシの頭ん中で錯乱する愛の亡霊が全く表されることなく、あの主人公からその苦悩が全然感じられなかったので、オンナがきている、と言って、うぉ〜〜っと走り出るとこ、ついていけなかったけれど、この作品は愛の亡霊ぶりを72分間、丁寧に表している感覚ある。ワカマツは愛のコリーダにはかんでいても愛の亡霊にはかんでいないと思うが、オオシマのなかでは、この狂走情死考が愛の亡霊の原型になっているのではないかと見紛うばかりである。冒頭のリアルのフッテージとフィクションの二重写し、実録・連合赤軍 あさま山荘への道程でも同じテクあったけれど、なんだか良い。見紛う。見紛う男女の愛の逃避行。いつもの寓話性がなく、人間ドラマというものをじっくりと表しているかのようであるが、一方で、戸浦六宏は国家権力、吉澤健は理想主義者、武藤洋子は抑圧される弱者で、慈愛の対象、或いは主人公を包み込む母性- ワカマツがいつも描くように、ワカマツの、というより日本の母性は愛を発光させるだけで済むではなく、苦痛をいつも受け入れなければならない -といった表象も考えられるセンスで、ハナシは進む。ワカマツ初のオールカラーは、逃避行がまるで夢かのように思わせる綺麗な色彩を生んでいる。布団のふたりの白い裸体、それと海とのオーヴァーラップ、とてもよかった。生々しい美しさ、というより、何かとても綺麗なものが表されている。やがて雪の中を走ってくる裸の女、彼女を追う村の衆、ワカマツらしく寓話性が目立ってくる。しかし、そもそも社会とは供儀、掟、契り、どれも寓話の塊かのようなもので成り立ってきたものであり、そうだということ表しているのだ。新宿騒乱などがこの作品が生まれる時のモティーフと、インタビューで言っていたけれど、負けの美学というほど美しくはない、雪の中での彷徨。その咆哮、当時を理解していない私には分からないものがある。



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