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2018年09月02日17:42

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吾にこそは告らめ−漫葉集(0010)

「籠(こ)もよ み籠持ち
ふくしもよ みぶくし持ち
此の岡に 菜採ます子
家告(の)らせ 名告らさね
そらみつ 大和の國は
おしなべて 吾こそ居れ
しきなべて 吾こそ坐(ま)せ
吾(わ)にこそは告らめ 家をも名をも」

澤瀉久孝『萬葉集注釈』巻第一(中央公論・1982年)p.12〜13より

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澤瀉久孝(おもだかひさたか)の『萬葉集注釈』を読み始めて、本文に入った5ページ目に到って驚いた。
今まで「我(われ)こそば」だと思っていたところが、「吾(わ)にこそは」となっていたからだ。

この歌は雄略天皇による御製歌で、「萬葉集」の第一巻の巻頭の歌だから、御存じの方も多いと思う。丘で名を摘む少女に向かって天皇が詠ったものとされる。このような形で男性から女性に「家と名」を問うことは「求婚」の意味があるとも言われている。そして、女性が「家と名」を告げれば、それには受諾の意味があるとも。

雄略天皇は、求婚に際して「大和は ことごとく わたしが君臨している国だ すみずみまで わたしが治めている国だ」(小学館版)と続ける。今日ならパワハラと言われかねない言動だが、国文学の世界では「王者の風格を持つ歌」(小学館版p.24)などと評されている。

さて問題の「吾(わ)にこそは」の部分。原文は次のようになっている。

「我許背歯告目 家呼毛名雄母」

通常は、以下のように訓んでいる。

岩波版:「我こそば 告らめ 家をも名をも」
小学館版:「我こそば 告らめ 家をも名をも」

塙書房版などでも同様だ。

小学館版の訳では「わたしの方こそ 告げよう 身分も名前も」となり、少女が名乗る前に、雄略天皇の方から「家をも名をも」告げようという意味でとっている。

しかし、澤瀉の『萬葉集注釈』では「そのわたしにこそうちあけるでしよ。(あなたの)家をも名をも」と口訳し、少女に重ねて受諾を強いるような形になっている。

澤瀉は、
(A)作者が告る意に解する(「我」は「告る」の主語)
(B)相手の少女が作者に告る意に解する(「我」は客語乃至補語)
の2説についておよそ8ページを費やして論じ、(B)説に帰着している。

しかし、それは現代では多数説とは言えないようだ。

このことについて、今日はこれ以上は踏み込まないが、『萬葉集』は、面白いと思った。

岩波版:『萬葉集(一)』新日本古典文学大系(岩波書店・1999年)
小学館版:『萬葉集(1)』新編日本古典文学全集(小学館・1994年)
塙書房版:『萬葉集 訳文篇』(塙書房・1972年)

■漫葉集-萬葉集に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=2312860&id=1882704729

【追記】
この歌についての土屋文明の訳が面白かったので記しておく。

「籠をよ、籠を持って、堀串をよ、堀串を持ってこの丘に若菜を取っているおとめ、あなたの家を言い、名を言いなさい。ソラミツ大和の国はいちように私が治めている、全部を私が治めている。私こそは、あなたの夫として私の家も私の名も、知らせましょうよ。」

土屋文明訳『万葉集』「国民の文学」第二巻(河出書房新社・1963年)より

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