「子曰わく、故(ふる)きを温(あたた)めて新しきを知る、以て師と為すべし。」
「先生がいわれた。
「煮つめてとっておいたスープを、もう一度あたためて飲むように、過去の伝統を、もう一度考えなおして新しい意味を知る、そんなことができる人にしてはじめて他人の師となることができるのだ」」
「<故きを温めて>「温」を朱子の新注で「たずねる」と訳しているが意訳にすぎる。漢の鄭玄(ていげん)にしたがって、冷えた食物をあたためなおす意味にとるが、これが原義である。」
貝塚茂樹 訳注『論語』(中公文庫・1973年)第二 為政篇より
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『論語』の中でも有名な「温故知新」の一節。貝塚茂樹の訳と注を見て、驚いた。
中国語の「温故」には、そもそも「古いことに習熟している」という意味があるのだと思っていたので、これが「冷えた食物をあたためなおす」ことからの比喩だとは思っていなかった。
と思って色々と調べてみたら、「煮つめてとっておいたスープを、もう一度あたためて飲むように」と訳すまでに食物にこだわるのは、どうやら貝塚茂樹の独特の解釈のようだ。
他の訳では、以下のようになっている。
A.金谷治 訳注『論語』(岩波文庫・1963年)
「先生がいわれた、「古いことに習熟して新しいこともわきまえれば、教師となれるだろう。」」
B.加地伸行 全訳注『論語-増補版』(講談社学術文庫・2009年)
「老先生の教え。古人の書物に習熟して、そこから現代に応用できるものを知る。そういう人こそ人々の師となる資格がある。」
「故」の中身について、貝塚は「過去の伝統」、金谷は「古いこと」、加地は「古人の書物」とする。ずいぶんと意味合いが違うなぁ。加地が「新」について「現代に応用できるもの」としているのは、なかなか斬新だと思った。
さて、では明治書院の新釈漢文大系ではどうなっているか。
C.吉田賢抗 著『論語』(新釈漢文大系 第1巻・1960年)
「孔子言う、先人の述べた学、いわゆる過去の事柄や学説などを謙虚に学びとり、思い究めながら、そこから現実にふさわしい新義が発見できるようになれば、人の師表となる資格があるものだ。」
一番、幅広い解釈だと思う。語釈も丁寧だ。
「温」については「「アタタム」とよむ。「タヅネル」とよむ説(朱注)もある。重ねて習い十分に習熟すること。研究の意。」と説明し、更に各説も紹介している。また、この字に「じわじわ煮る」の意があることも紹介している。
「故」については、「旧の意。典故・故事などの故で、自分よりも前に出た人の学説や、過去の事象は皆「故」である。勿論古典も「故」である。」
「知新」は「新義を知る。新義発見。」
短い言葉だが、その奥深さを教えてくれる。
更に吉田は「礼記の学記」の中にある「記問の学は、以て人の師たるに足らず」を引用して「余説」として次のように説く。
「人の師たる者は、温故に停滞してもいけないし、新奇に先走ってもいけない。温故だけでは、いかに広くとも百科事典にすぎない。新奇だけでは人を誤らせ、堅実味がない。須らく過去の事柄や学説を十分究めて遺漏なきを期すると共に、現実に即応した新しいものを発見発明して、宇宙の変化に応じ、進化の法則に順わなくては学問の意義がない。」
本当に、学問は、そして人の師となることは大変だ。
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