mixiユーザー(id:15707093)

2018年07月24日10:36

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イスラム圏で暮らして気になった福音書の箇所

 イスラム圏のマレーで暮らして数年になります。一番厄介なのは,一神教はアカン。一神教は偏狭である。それに対して,多神教や仏教は寛容だ。だから,東洋的な伝統はすばらしい」と,ムチャクチャな主張をする日本人同僚,(全員ではありませんが)です。これらの人たちが,どんな偏見があるかは,順次まとめて,アップします。

この乱暴な主張が,相当,精神的にこたえているようです。本当は,「タイの内乱は,仏教徒じゃないか。ポトポルの虐殺も仏教徒,スリランカの内戦も仏教徒だろう。ロヒンギャの弾圧は何だ。テロを起こしたオームだって,仏教だろ。仏教徒でも乱暴なヤツもいれば,そうでないヤツもいる。それと同様に,教徒でも乱暴なヤツもいれば,そうでないヤツもいる。ムスリムの同様だ」と,反論したいのですが,それを行うと,完全にケンカになってしまいまので,自重しています。「自分は絶対に正しい」と思い込んでいる連中ほど厄介な存在はありません。精神的なストレスは,相当なものです。

それ以外にも,日本にいたときには殆ど気になった福音書の箇所が,非常に気になるようになりました。それは,イエスの断食に関する見解です。この世の光の証人としてつかわされたヨハネの弟子から,マタイ伝9-14やマルコ伝2-18などで,

「我々は,断食するのに,なぜ,あなたちは断食をしないんだ」

と質問を受けます。その後のイエスの回答が全く理解できないのです。いきなり,花婿の話にとんでしまうからです。

このため,ムスリムの学生たちに,自分がなぜ断食をしないか,という説明に窮してしまいます。教派によって見解に相違はあるかとおもいますが,ローマ人への手紙14-3などでは,なんとなくごまかされたような気がするからです。
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