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2018年04月28日23:08

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北海道(蝦夷地)は「いつから」我が国固有の領土ですか(3)

「蝦夷地あるいは蝦夷という呼称方式は、近世においては幕藩制国家の支配のおよばない「異域」あるいは「異族」を指したもので、<国家外>を意味した。それが北海<道>という呼称方式に変化したことは、東山道などと同様、古代国家に淵源をもつ領域理念である。ゆえに北海道の創出は、「五畿七道」であった前近代の天皇制国家が、近代的それへの出発点で「一道」を加え、国内領域の拡大を行ったことを意味する。このことはすでに実質的に領域化していたその地の<政治理念上での「内国」化>を意味しており、伊達藩が宮城県と改称された如き、本州以南の例とは全く異質である。以後アイヌ民族は、蝦夷地の主役の地位を失い、「帝国の版図」内の「異族の一つに位置づけられる。」

海保洋子『近代北方史−アイヌ民族と女性と』(三一書房・1992年)p.18より
  ※< >内の文字は、原文では傍点。

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昨日の日記で紹介したのは、言わば「官製」の認識であったが、上に引用したのは近代北海道についての研究家の見解だ。

ここでは、北海道ないし蝦夷地が「内国化」されたのは1869年(明治2年)の太政官布告が画期であるように説明されている。それ以前の状態は「実質的に領域化していた」という表現になっている。

確かに、徳川幕府は「帝国」ではなかった。しかし、幕府による「幕領化」は、「実質的」な領域化だけではなく、「形式的」(あるいは「名目上」)の領域化も意味していたのではないか。だとすれば、すでに幕末の幕藩体制において、蝦夷地は「名実ともに」領域化されていたと言えるのではないか。

実際、海保も次のように記している。

「蝦夷地が近世初期から幕藩制国家の支配下にあったか否か、結論的には、幕藩制国家が当初から異民族支配体制にあったか否かは議論のあるところである。1855年(太陽暦による)締結の日露和親条約では、エトロフ島までを日本領とし、樺太は国境を定めず従来どおりとした。したがってこの時期の幕藩制国家の領域はおおむね全蝦夷地におよんでおり、対外主権的には、崩壊期直前の幕藩制国家は明確に蝦夷地支配体制(異民族支配体制)であるといい切ることも可能である。」
(前掲書p.14)

ここで、「領域化」という言葉と「内国化」という言葉が使い分けられていることについては、後にあらためて考えてみたい。

◆北海道(蝦夷地)は「いつから」我が国固有の領土ですか
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◆アイヌ民族と北海道史に関する日記の目次
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