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2018年04月27日23:47

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北海道(蝦夷地)は「いつから」我が国固有の領土ですか(2)

昨日の日記の【答案A】を書いた人からは、次のような反問があるかも知れない。
「北海道立文書館のホームページには、次のように書かれていましたよ」と。

◆北海道の名前について
「いつから「北海道」という名称(めいしょう)になったのですか?
 明治2年(1869)です。8月15日の太政官布告で、「蝦夷地自今北海道ト被稱十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知されました。
 この布告の出される以前は、「蝦夷が島」「蝦夷地」などと呼ばれていました。「蝦夷」とは、華夷思想に基づく異民族の呼称です。したがって、「蝦夷地」とは「異民族の住む地」ということになります。
 日本には、北の境の概念が希薄だったのですが、江戸時代後期以降、ロシアの進出に伴って意識せざるをえなくなりました。いつまでも「蝦夷地」ではいけないので、新名称をつけるべきであるという意見は、江戸時代末期から多かったようです。しかし、それが実現したのは明治になってからのことでした。これにより、北海道が日本の版図であることが、内外に宣言されたのです。 」
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/d/faq/faq02.htm

これは「名称」に関する説明だが、これを読むと「北海道が日本の版図」となったのが「明治2年(1869)」であるように「誤解」(?)される可能性がある。
また、この説明には、北海道に独特の「開拓史観」の色合いが濃い。
この「開拓史観」には、以下のような2つの問題点がある。

(1)明治以降の北海道の開拓において「官(維新政府)」の成果を重視し、「民衆」(ないし「民間」)の側の労苦や成果を軽視している。
(2)「開拓使」設置(1869年)以降の歴史を重視し、それ以前の(特に江戸時代の)歴史を著しく軽視(無視)している。

上に引用した北海道文書館のHPに記されている(いわば官製の)見解には、(2)の傾向が見られる。

しかし、僕が考えたい論点は、以下のようなものだ。

(a)アイヌ民族の側から見れば「アイヌモシリ」(の大半)が、和人の領地として(一方的にだとしても)編入させられたのは「いつ」なのか。
(b)日本の政権(徳川・明治)の側で見れば、蝦夷地について「異域」といった認識を捨てたのは「いつ」なのか。

◆昨日の日記:北海道(蝦夷地)は「いつから」我が国固有の領土ですか(1)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1966285211&owner_id=2312860
◆アイヌ民族と北海道史に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=233156328&owner_id=2312860

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