mixiユーザー(id:2312860)

2018年04月26日23:58

78 view

北海道(蝦夷地)は「いつから」我が国固有の領土ですか(1)

「北方領土の日」にちなんで以下の問題を提起しながら、それに対する「答案」を書くのを忘れていた。

◆北海道は我が国固有の領土です(か?)いつから?(2018年02月07日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965069052&owner_id=2312860

もしも、以下のような「答案」があったとしたら、正解だと言えるだろうか。

【答案A】
「明治以前の北海道では道南の和人地は幕藩制国家の領域だったのに対し、アイヌの居住地である蝦夷地は国家権力による直接的支配の及ばない「化外の地」「異域」とされていた。1869年に全島が北海道と改称され、国郡が設定されたことにより、名実共に近代日本国家の領域に組み込まれた。」
(134字)
https://twitter.com/AinuHateCounter/status/988555098329509888

これが「学生の答案」であり、僕が「教員」であるならば、僕はこの答案を「不正解」とするだろう。
そして、学生に次のように質問する。

「蝦夷地が日本の領域に組み込まれたのが1869年の北海道への改称の時点だとするならば、1855年(安政2年)の日露和親条約で、日露間の国境は、どのように扱われたのだろうか?」

1855年の日露和親条約では、両国の領域について以下のように取り決められた。

・千島列島における、日本とロシアとの国境を択捉島と得撫島の間とする。
・樺太においては国境を画定せず、これまでの慣習のままとする。

ここでは、蝦夷地は当然のこととして日本側の領域とされている。
つまり、明治維新政府の成立する前から、蝦夷地を北海道と改称する前から、徳川幕府によって、蝦夷地(北海道)は日本の領土と認識され、主張され、国際的にも確定していたのだ。

では、国際的な取り決めの前提となる国内的な認識は、1855年以前に遡れるだろうか。僕はそれを1800年前後の幕府による「蝦夷地直轄化(幕領化)」にまで遡れるのではないかと考えている。

ここで「1800年前後」と書いたのは、この「幕領化」が次のように段階的に行われたからだ。

・1799年(寛政11年):東蝦夷地の幕領化
・1807年(文化4年):西蝦夷地の幕領化

最後に、僕なりの「答案」を学生君と同程度の字数で書いてみたい。

【答案B】
「かつての蝦夷ヶ島(現在の北海道)において、幕藩体制下の領域は道南の松前藩の和人地だけであり、その外の「蝦夷地」は国家支配の及ばない「異域」とされていた。しかし、1807年までの東蝦夷地および西蝦夷地の幕領化により、蝦夷ヶ島の全域が幕府(日本)の領地(領域)となった。」
(135字)

さて、正解をもらえるだろうか(笑)。

2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する