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2017年12月15日23:56

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歴史之雑談帖(その194)―伏見城攻防戦を物語る石垣の発見

嘗て伏見城はあった辺りは、再開発が進んでいる事もあってか、色々な遺構が見つかってはしばしばニュースになる事が。わたくしも何回か、この日記で記事を紹介した事がありますが、今回は関ケ原の合戦に先立ち、伏見城の城攻めの痕跡を残す石垣が発見されたそうです。

<引用開始>

伏見城石垣に高温の焼け跡 関ケ原前哨戦、攻防激しく


 関ケ原の合戦の前哨戦「伏見城の戦い」(1600年)で焼けたとみられる城の石垣が京都市伏見区桃山町で見つかり、発掘調査会社「四門」(東京)が14日、発表した。ひび割れて赤く変色しており、担当者は「かなりの高温で焼かれ、崩れ落ちた可能性がある。激しい攻防を思わせる成果」としている。

伏見城の戦いは、豊臣秀吉が死去した2年後に起きた。徳川家康が上杉攻めに向かったのを機として西軍が挙兵。徳川家臣・鳥居元忠が守る伏見城を攻め、城は焼け落ちた。見つかった石垣は1段目とみられる。火災で表面の一部が赤く変色しており、ひび割れや欠けた跡も確認できた。周囲からは焼土層も見つかった。集合住宅の建設に伴う調査。発掘現場は既に埋め戻されており、現地説明会は開かれない。

<引用終了>

出典Web:https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20171215&ng=DGKKZO24680500V11C17A2CR0000

城跡の大半が桃山御陵(明治天皇の御陵)に取り込まれて仕舞っている為、中々伏見城は実態の解明が進まない様ですが、断片的な発見でも積み重ねていくうちに実像に迫れるのではないか、と密かに期待するところです。

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